|
ウィリー・スタージェル(''Willie Dornel Stargell'' , 1940年3月6日 - 2001年4月9日)はアメリカ合衆国・メジャーリーグベースボールの一塁手、外野手。オクラホマ州出身。 == 経歴 == 1962年にメジャーデビュー。1964年からレギュラーとして頭角を表すようになった。以後ロベルト・クレメンテ、アル・オリバー、デーブ・パーカーらと共に地区優勝6回、リーグ優勝・ワールドシリーズ優勝2回の、「隠れた強豪チーム」であった1970年代のピッツバーグ・パイレーツの主軸選手として活躍した。 特に1979年には32本塁打・82打点と突出した成績ではなかったが、39歳という高齢でパップス(お父さん)と慕われるほどのチームの精神的な支柱として数字以上の存在感を示し、チームの世界一に大きく貢献した事を評価されMVPに選ばれた。 さらにリーグチャンピオンシップシリーズ、ワールドシリーズでも好成績を残しMVPに選出され、1シーズン3度のMVPという快挙を成し遂げている。 1982年に現役を引退。引退と共にスタージェルの背番号『8』はパイレーツの永久欠番に指定された。 前述の通り、チームメイトからも慕われていたスタージェルだが、それはフィールドの外においても同じで、現役、そして引退後も慈善活動に積極的に従事した。 しかし、晩年は病気がちになり、2000年に閉場したスリー・リバース・スタジアムの最終戦での始球式では車椅子姿と痛々しい姿だった。翌2001年、腎不全の為、61歳で死去した。奇しくもその日は古巣の新本拠地・PNCパークが公式戦初開催された日と同じであった(なお、シンシナティ・レッズとの試合は2-8で敗戦している)。現在も同球場にはホーナス・ワグナー、ロベルト・クレメンテと共に彼の銅像が設置されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウィリー・スタージェル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|