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ウィーンの歴史[うぃーんのれきし]
ウィーンの歴史(Geschichte Wiens)では、オーストリアの首都ウィーンの歴史を詳述する。 ==古代==
===軍事都市ヴィンドボナ=== ドナウ川に近いケルト人の集落ヴィンドボナ(当初はヴィンドミナとも)がウィーンの起源とされる。この集落を紀元100年頃にローマ帝国が征服し、新たな城塞、宿営地が設けられた。2世紀後半にマルコマンニ族との戦闘で荒廃したが、まもなくマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝のもとで再建された。彼はこの都市で著書『自省録』の多くを執筆し、180年にこの地で没した。ローマ帝国の北辺近くに位置するヴィンドボナは、ローマ帝国の防衛上重要な役割を果たしていたが、ローマ帝国の分裂、弱体化とともに衰え、5世紀にフン族、ゲルマン人などの侵入によって破壊された。ただし、都市の一部は残存しており、中世に再興するウィーンの都市構造は、この古代都市の構造に依存するものとなった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウィーンの歴史」の詳細全文を読む
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