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ウェス・クーリー : ウィキペディア日本語版
ウェス・クーリー
ウェス・クーリー(Wester Steven "Wes" Cooley、1956年6月28日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身の元オートバイレーサーである。1979年と1980年にAMAスーパーバイクチャンピオンを獲得した〔Wes Cooley at the Motorcycle Hall of Fame 〕。
== 経歴 ==
クーリーのレースキャリアは、父親が運営に携わっていた南カリフォルニアクラブレースからスタートした。
小排気量クラスで腕を磨いた後、ポップ吉村に見出されたクーリーはヨシムラの契約ライダーとしてカワサキ・Z1を駆り、新設されたAMAスーパーバイククラスに参戦する。スーパーバイク初年度の1977年の最終戦では初勝利を挙げた〔Wes Cooley at the Motorcycle Hall of Fame 〕。そして翌1978年、ヨシムラがよりハンドリングに優れたスズキのマシンにスイッチすると、クーリーは表彰台の常連となる。
1979年にはAMAスーパーバイクのタイトルを獲得〔Wes Cooley at the Motorcycle Hall of Fame 〕。続く1980年にもカワサキエディ・ローソンホンダフレディ・スペンサーという将来殿堂入りを果たす二人をおさえてタイトルを防衛した〔Wes Cooley at the Motorcycle Hall of Fame 〕。
鈴鹿8時間耐久レースでも活躍しており、1978年の第1回大会ではマイク・ボールドウィンとのペアで優勝を果たし〔鈴鹿サーキット#鈴鹿8耐#第1回大会1978年 〕、1980年にはグレーム・クロスビーとのペアで2勝目を挙げている〔鈴鹿サーキット#鈴鹿8耐#第3回大会1980年 〕。
1985年、クーリーはシアーズ・ポイント・レースウェイでクラッシュし、命にかかわる大怪我を負ってしまう〔Wes Cooley at the Motorcycle Hall of Fame 〕。懸命な治療により再びレースに出場できるまでに回復したが、往年の速さを取り戻すことはできなかった。
レースを引退してからはライディング・スクールのインストラクターを務めた後、医学の道に進んだ。2004年、AMAモーターサイクル殿堂入りを果たした〔Wes Cooley at the Motorcycle Hall of Fame 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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