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ウェッジウッド・ノウエル(, 1878年1月24日 - 1957年6月17日)は、アメリカ合衆国の俳優、作曲家である〔Wedgwood Nowell, Internet Movie Database , 2010年6月8日閲覧。〕。と「''e''」の入る表記もある〔〔Wedgewood Nowell, allmovie , 2010年6月8日閲覧。〕。 == 人物・来歴 == 1878年(明治11年)1月24日、ニューハンプシャー州ポーツマスに生まれる〔。 当初のキャリアは舞台から始まり〔、1912年(明治44年)1月には、ニューヨーク市ブロードウェイのビジュー劇場で、 ''The Right to Happiness'' の舞台に立った記録がある〔Wedgwood Nowell, Internet Broadway Database , 2010年6月8日閲覧。〕。15年の舞台生活を経て、1915年(大正4年)に映画界へ進出する〔〔。 1916年(大正5年)、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に移籍、同年、レックス・イングラム監督、クレオ・マディソン主演の『空弾』に出演、1917年(大正6年)からは、前年にユニヴァーサル傘下に設立されたブルーバード映画で、『黒蘭』、『生の鼓動』、 ''The Mysterious Mr. Tiller'', 『血の叫び』に出演〔、1作を除いて日本でも公開された〔『ブルーバード映画の記録』 : 製作・著・発行山中十志雄・塚田嘉信、1984年4月、p.60-63.〕。1918年(大正7年)にはユニヴァーサルを離れた〔。1923年(大正12年)、 ''Jealous Husbands'' に出演したのを最後に、一旦映画界を離れる〔。 1932年(昭和7年)、時代はトーキーになり、映画界に復帰するも、ほとんどがノンクレジットの端役である〔〔。第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)、ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ監督の『ボストン物語』を最後に、満69歳で映画界を退いた〔。 1957年(昭和32年)6月17日、ペンシルベニア州フィラデルフィアで死去した〔。満79歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウェッジウッド・ノウエル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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