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ウェレイウス・パテルクルス : ウィキペディア日本語版 | ウェッレイウス・パテルクルス マルクス・ウェッレイウス・パテルクルス(Marcus Velleius Paterculus、紀元前19年 - 31年)は帝政ローマ初期の歴史家。単にウェッレイウスの名で呼ばれる事もある。彼の個人名「マルクス」は後世の中世ラテン語学者プリスキアヌスによって名づけられたが、現在の調査では彼の本当の名は、北アフリカの石に刻まれたマイル標識の碑文にも同じ名が見られる事からガイウス・ウェッレイウス・パテルクルスという名であったであろう事が分かっている。 == 生涯 == パテルクルスはカンパニア地方の高名な家柄の出身であり、彼は早いうちから軍籍に属していたと言う。そして、その中でトリブヌス・ミリトゥムとしてトラキア、マケドニア、ギリシアなどの東方に赴任、西暦2年にはアウグストゥスの孫ガイウス・カエサルに随行しユーフラテス川へ、パルティア王フラーテス5世と会談する。その後騎兵の長官職と副官(レガトゥス)を歴任、ティベリウスの指揮のもとでゲルマニア属州、パンノニアにて4年から8年間務め上げた。また8年にはクァエストルを、15年には彼の兄弟とともにプラエトルを歴任する。 彼の著作でマルクス・ウィキニウスの正規執政官職が繰り返し言及されている事から、ウィキニウスが正規執政官であった30年の時点でも彼は存命であったことがわかる。しかしながら彼は当時の親衛隊長官ルキウス・アエリウス・セイヤヌスと近かったために、31年セイヤヌスの処刑にともなって粛清の対象になったものと推測されている。
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Marcus Velleius Paterculus 」があります。
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