翻訳と辞書
Words near each other
・ ウォルサム (マサチューセッツ州)
・ ウォルサムフォレスト・ロンドン特別区
・ ウォルサム・アビーFC
・ ウォルサム・フォレストFC
・ ウォルサム・フォレスト・カレッジ
・ ウォルサム・フォレスト・ロンドン特別区
・ ウォルサム・フォレスト区
・ ウォルサン・ミョンバク
・ ウォルサー
・ ウォルサー・マイスナー
ウォルシアヌス
・ ウォルシュ
・ ウォルシュ・ジュリアン
・ ウォルシュ・ホール商会
・ ウォルシュ兄弟
・ ウォルシュ商会
・ ウォルシュ郡
・ ウォルシュ郡 (ノースダコタ州)
・ ウォルシンガム
・ ウォルシンガムの聖母


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ウォルシアヌス : ウィキペディア日本語版
ガイウス・ウィビウス・ウォルシアヌス

ガイウス・ウィビウス・ウォルシアヌス(ラテン語:''Gaius Vibius Volusianus''、? - 253年8月)とは、軍人皇帝時代のローマ皇帝251年 - 253年)であり、父ガイウス・ウィビウス・トレボニアヌス・ガッルスの共同皇帝の地位にあった人物である。
== 生涯 ==
トレボニアヌス・ガッルスを父、アフィニア・ゲミナ・バエビアナ(en)を母として生まれた。姉妹にウィビア・ガッラがいたことが知られる。また、彼の妻は先帝デキウスの娘である。
251年6月頃にローマ皇帝デキウスおよび共同皇帝ヘレンニウス・エトルスクスゴート族とのアブリットゥスの戦いで戦死すると、トレボニアヌス・ガッルスは後継のローマ皇帝に就くことを宣言し、息子ウォルシアヌスを共同皇帝とした。ウォルシアヌスは同時にプリンケプス・ユウェントゥティス(Princeps Juventutis)の称号を得た。なお、デキウスの息子ホスティリアヌスがローマで皇帝として就いていたものの、251年中に病によりこの世を去り、トレボニアヌス・ガッルスは単独でのローマ皇帝の座を手に入れた。
しかし、当時モエシア属州総督であったマルクス・アエミリウス・アエミリアヌスが軍の支持を得て、ローマ皇帝を称し、レボニアヌス・ガッルスへ反旗を翻して、ローマへと進軍を始めた。トレボニアヌス・ガッルスは軍を率いて迎撃へ向かったが、253年8月自軍内の将校によってウォルシアヌスは父と共に殺害された。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ガイウス・ウィビウス・ウォルシアヌス」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Volusianus 」があります。



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.