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ジュニー・モリソン(Walter "Junie" Morrison)はアメリカ合衆国のミュージシャン。オハイオ州デイトン生まれ。主に1970年代にファンク・R&B界においてキーボーディスト、ボーカリスト、作曲家、編曲家として活躍した。オハイオ・プレイヤーズの初期メンバーの一人で,後期Pファンクを支えた最重要メンバーの一人。ウニウニとうねり意表をつくキーボードサウンド、粘着質なボーカル、物悲しくも美しいメロディを奏でる作曲・編曲能力、キーボード以外にもギター、ベース、ドラム等なんでもこなすマルチタレトぶりに、「変態的天才」としばしば形容される。 == 来歴 == 1970年に結成されたファンクバンド、オハイオ・プレイヤーズのキーボーディスト、ボーカリストとして音楽活動をスタートさせたが、最初期の1、2ヶ月は電子ピアノを買うお金がなく、トランペットを演奏していたという。同バンドにて作曲家、キーボーディストとしての才能を発揮して3枚のアルバムを発表し、1973年5月には自身の作曲による"ファンキー・ワーム"(1971年発表)がヒットし、ビルボードR&Bチャート1位、ポップチャート15位を記録した。 1974年にオハイオ・プレイヤーズを脱退、その後3枚のソロアルバムを発表した後に、1977年にジョージ・クリントン率いるPファンクに参加した。 P-ファンク軍団(ファンカデリックおよびパーラメントの二つのバンドを主とするファンクグループ)と仕事をすることでジュニーの才能はさらに大きく開花し、ファンカデリック1978年発表の、ファンク・ロックの金字塔的アルバム、『ワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ ''One Nation Under A Groove'' 』の制作に大きく関わった。その他1978年以降のファンカデリックおよびパーラメントの多くの楽曲の作曲、編曲、演奏、ボーカルに関与した。ジュニーの作曲は、多くが J.S.Theracon としてクレジットされている。またファンカデリック1979年発表のアルバム、アンクル・ジャム・ウォンツ・ユー収録の大ヒット曲、『ニー・ディープ ''(Not Just) Knee Deep'' 』は作曲者クレジットが「George Clinton, Jr」となっているが、これはジョージ・クリントンとジュニーのことであると後に判明した(1993年発表ジョージ・クリントン・ファミリー・シリーズ vol.3 プラッシュ・ファンク収録のジョージ・クリントンのインタビューより)。このように、Pファンク内での活動は偽名になっていたり、クレジットが正確でないものが多々あるため、過小評価されがちである。また同曲では楽器演奏のほとんどをジュニー一人で行っていることも特筆すべきことである。 1980年代に入るとPファンクの活動は急速に収束したが、ジョージ・クリントンのファーストアルバムに参加したり、自身のソロアルバムを発表するなど精力的に活動を続けた。1990年代にはソウル・トゥー・ソウルの音楽プロデューサー等として活躍し、また2004年には最新ソロアルバムを発表するなど2006年現在も活躍中である。 1997年、パーラメント-ファンカデリックの一員としてロックの殿堂入りを果たした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジュニー・モリソン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Walter Morrison 」があります。 スポンサード リンク
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