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ウォーズ・カツマタ(Wars Katsumata、男性、1983年7月10日 - )は、フィリピンのプロボクサー。西ネグロス州カディス出身。本名はワーリト・グレゴリオ・パレナス・ジュニア(Warlito Gregorio Parrenas Jr.)。日本では勝又ボクシングジム所属し活動していた。現在はマニラマラテ地区に居住し、ワーリト・パレナスのリングネームで活動している。 == 来歴 == 2007年4月21日、西ネグロス州ヴィクトリアスでデビュー戦を行い、2回TKO勝ちを収めデビュー戦を白星で飾った。 2007年5月5日、南イロコス州サンタ・クルスでマイケル・ランデロと対戦し、プロ初黒星となる0-2の判定負けを喫した。 2008年7月25日、パサイのスターシティでエドウィン・ピカーダルと対戦し、初回2分37秒キャリア初のKO負けを喫した。 2009年5月12日、ケソン州タヤバスでエドウィン・ピカーダルと対戦し、2回1分59秒KO勝ちを収め1年10ヵ月ぶりの再戦で雪辱を果たした。 2009年6月20日、ジェイソン・ゲダとルソン島スーパーフライ級王座決定戦を行い、初回2分8秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。 2010年4月9日、マーロン・タパレスとフィリピンGABライトフライ級王座決定戦を行い、7回1分19秒TKO負けを喫し王座獲得に失敗した。 2010年7月31日、ジョナサン・タコニングとWBCインターナショナルライトフライ級王座決定戦を行い、6回1分59秒TKO負けを喫し王座獲得に失敗した。 2011年に来日。勝又ジム所属となり、リングネームをウォーズ・カツマタとする。 2011年4月6日、後楽園ホールで須田拓弥(沼田)と対戦し、4回1回54秒TKO勝ちを収め来日初戦を白星で飾った。 2011年6月17日、後楽園ホールで角谷淳志(金沢)と対戦し、初回2分52秒KO勝ちを収めた。 2011年9月18日、神奈川県座間市のキャンプ座間にあるヤノ・フィットネスセンターで板垣幸司(広島三栄)と対戦し、板垣の初回終了時棄権により来日3連勝なるTKO勝ちを収めた。 2011年12月7日、大阪府立体育会館でタイライトフライ級王者ガオプラチャン・チュワタナと対戦し、3回2分41秒TKO勝ちを収めた。 2012年3月25日、後楽園ホールで行われた「日比ボクシングフェスティバル(FIL-JAPAN BOXING FESTIVAL)」と銘打たれた興行のメインイベントで金城智哉(ワタナベ)と対戦し、6回1分45秒KO勝ちを収めた。この興行に対しマニー・パッキャオからビデオメッセージも贈られた。 2012年6月25日、勝又ジム50周年記念興行においてオスカル・ブランケットと対戦し、初回33秒KO負けを喫した。 この間にフィリピンに帰国し、リングネームを本名からワーリト・パレナスとした。 2012年11月18日、沖縄コンベンションセンターでWBOアジア太平洋スーパーフライ級王者イザック・ジュニアと対戦し、8回26秒KO勝ちを収め再起を果たした。 2014年6月7日、マカティのマカティ・シネマ・スクエア・ボクシング・アリーナでジュニア・バジャワとWBOオリエンタルスーパーフライ級王座決定戦を行い、バジャワの6回終了時棄権により王座獲得に成功した。 2014年10月14日、バタンガス州タールでエスピノス・サブと対戦し、12回3-0(2者が119-109、118-110)の判定勝ちを収めWBOオリエンタル王座初防衛に成功した。 2014年12月9日、パラニャーケでヘンキー・バランサノと対戦し、初回1分59秒KO勝ちを収めWBOオリエンタル王座の2度目の防衛に成功した。 2015年7月4日、ソノラ州エルモシージョのセントロ・デ・ウソス・ムルティプレスで井上尚弥の右拳の負傷によるブランクに伴いデビッド・カルモナとWBO世界スーパーフライ級暫定王座決定戦を行い、12回1-1(112-115、115-113、114-114)の判定で引き分けた為、王座獲得に失敗した〔井上尚弥の暫定王者は決まらず、決定戦はドロー Boxing News(ボクシングニュース) 2015年7月5日〕。 2015年12月19日、有明コロシアムでWBO世界スーパーフライ級王者井上尚弥と対戦するが、2度のダウンを奪われ2回1分20秒KO負けを喫し悲願の王座獲得に失敗した〔井上尚弥が強すぎる! 1年ぶり復帰戦で2回TKO勝ち Boxing News(ボクシングニュース) 2015年12月29日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウォーズ・カツマタ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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