翻訳と辞書
Words near each other
・ ウォータールー&シティライン
・ ウォータールー&シティーライン
・ ウォータールー&シティー線
・ ウォータールー&シティ線
・ ウォータールーパーMUTSU
・ ウォータールー・インターナショナル駅
・ ウォータールー・イースト駅
・ ウォータールー・サンセット
・ ウォータールー・パートナーシップ
・ ウォータールー地下鉄駅
ウォータールー地域
・ ウォータールー地方空港
・ ウォータールー大学
・ ウォータールー広場 (アムステルダム)
・ ウォータールー東駅
・ ウォータールー郡区 (アイオワ州アラマキー郡)
・ ウォータールー郡区 アラマキー郡 (アイオワ州)
・ ウォータールー駅
・ ウォータールー駅 (インディアナ州)
・ ウォータールー駅 (ロンドン地下鉄)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ウォータールー地域 : ウィキペディア日本語版
ウォータールー地域[うぉーたーるーちいき]

ウォータールー地域(英:)は、カナダオンタリオ州南西部に位置する地方行政区のひとつ。人口は507,096人(2011年)〔〕。'')は、カナダオンタリオ州南西部に位置する地方行政区のひとつ。人口は507,096人(2011年)〔〕。
==歴史==
同地域の歴史は1783年に、英国政府がアメリカ独立戦争時に王党派を支えたイロコワ族に、彼らが失った土地(ニューヨーク)の補償として、グランド川渓谷(Grand River Valley)を与えたことに始まる。イロコワ族はグランド川の南部(現在のブラント郡)に入植し、現在のウォータールー地方の土地は英国王党派に売却された。
土地はペンシルベニア州から移ってきたメノナイト派のドイツ系農家に売られた。そして彼らはドイツ系の会社を設立し、土地を18,100 km²の広さを持つ128の農場と、12,000 km²の広さを持つ32の農場に配分した。1840年代には同地域のドイツ語系メノナイト派の存在が、ヨーロッパから入植するドイツ人にとって人気の入植地となった。これらのドイツ人は同地域の南部に独自のコミュニティを築き、ベルリン(現:キッチナー)という名の町ができた。この町は第一次世界大戦時に、反ドイツの風潮が広まったため、ホレイショ・キッチナーの名を取って「キッチナー」と改名された。
ウォータールー地方は20世紀初頭まで大部分がドイツ語圏であったため、今もドイツ系の文化・伝統を大規模なルーテル教会のコミュニティや毎年開催される祭り「キッチナー・ウォータールー・オクトーバーフェスト」を通して見ることができる。
キッチナー・ウォータールーの北部には今も昔から続くメノナイトのコミュニティがあり、セント・ジェイコブスSt. Jacobs)が特に有名である(ファーマーズ・マーケットなどでも知られる)。
1973年に、同地方は郡から地域(Regional Municipality)へと昇格し、15都市から7都市へと大きな再編が行われた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウォータールー地域」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.