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ウォートン公爵 : ウィキペディア日本語版
ウォートン男爵

ウォートン男爵()は、イングランド貴族男爵位。
1545年にが叙せられたのに始まる。5代男爵トマス・ウォートンはウォートン侯爵、6代男爵フィリップ・ウォートンはウォートン公爵に叙せられているが、1729年大逆罪で爵位剥奪となった。後世に爵位回復し、女系継承が可能なウォートン男爵位のみウォートン家の女系子孫であるケメイーズ=タイント家、ついでロバートソン家に継承されて現在に至っている。
== 歴史 ==

1542年ので活躍したイングランド陸軍軍人(1495頃–1568)1545年1月30日に叙されたのに始まる。後の貴族院の決定でウォートン男爵位はによる爵位と認定されているが、実際にはによって創設された爵位だったと考えられている。
4代男爵(1613–1696)は厳格なカルヴァン派プロテスタントとしてピューリタン革命の際に議会派として戦った。
その息子である5代男爵トマス・ウォートン(1648–1715) もカルヴァン派プロテスタントとしてホイッグ党の政治家となり、ジェイムズ2世のカトリック政策を批判し、名誉革命でオラニエ公ウィレム(ウィリアム3世)を支持した。名誉革命後にはホイッグ党幹部集団「ジャントー」の指導者となった。爵位の面でも出世し、1706年12月23日にはイングランド貴族爵位ウェストモーランド州におけるウォートンのウォートン伯爵(Earl of Wharton, of Wharton in the County of Westmorland)とバッキンガム州におけるウィンチェンドンのウィンチェンドン子爵(Viscount Winchendon, of Winchendon in the County of Buckingham)、1715年2月15日にはグレートブリテン貴族爵位ウェストモーランドのウォートン侯爵(Marquess of Wharton, in the County of Westmorland)とウィルトシャー州におけるマームズベリー侯爵(Marquess of Malmesbury, in the County of Wiltshire)、1715年4月12日にアイルランド貴族爵位キャザーロー侯爵(Marquess of Catherlough)、ダブリン州におけるラスファーナム伯爵(Earl of Rathfarnham, in the County of Dublin)、ミース州におけるトリム男爵(Baron of Trim, in the County of Meath)に叙せられた。
その息子である2代ウォートン侯爵フィリップ・ウォートン(1698–1731)は、1718年1月28日にグレートブリテン貴族爵位ウォートン公爵(Duke of Wharton)に叙せられた。しかし彼はジャコバイトとなり、ウォルポール政権に批判的な態度を取り、ついにはスペインへ亡命してスペイン王フェリペ5世の要請で1727年のに参加した。この件は本国で問題視され、1729年4月3日貴族院決議により大逆罪で有罪となった。これにより全爵位をはく奪された
1世紀後の1845年5月3日に女王座部裁判所の判決により彼の爵位剥奪は取り消された。これに基づき貴族院は議会招集令状による爵位(男子がなく女子のみある場合に姉妹間に優劣がない女系継承が可能。女子が複数あるときは保持者不在(abeyance)となる)と認定したウォートン男爵位について、彼の死後、二人の妹の間で保持者不在(abeyance)になっており、1738年に妹のうち一人が子供なく死去しているのでその時点でもう一人の妹が7代ウォートン女男爵位を継承していること、そして彼女が子供なく死去したことで4代男爵の3人の娘の家系の間で保持者不在(abeyance)になっていることを確認した。さらに時代が下って1916年2月15日には保持者不在が解除され、4代男爵の娘メアリーの子孫であるが第8代ウォートン男爵に確定した〔。
8代男爵の唯一の男子であった9代男爵(1908–1969)には子供がなかったため、彼の死後、姉(1906–1974)が10代女男爵位を継承した。彼女はデイヴィッド・アーバスノットと結婚し、娘を二人儲けた〔。
彼女の死後にウォートン男爵位は娘二人の間で保持者不在となったが、1990年に解除されて長女(1934–2000)が11代女男爵となっている。また彼女はと結婚してロバートソン姓となった〔。
彼女の長男である12代ウォートン男爵マイルズ・ロバートソン(1964-)2016年現在の当主である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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