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ウォーリー・ザービアック(Walter Robert "Wally" Szczerbiak、1977年3月5日 - )はスペインのマドリード出身のアメリカ合衆国のバスケットボール選手。NBAで11シーズンプレーした。身長201cm、体重111kg。ポジションはフォワード。 父親のウォルター・ザービアックもレアル・マドリード・バロンセストでプレイしたバスケットボール選手だった。 == 経歴 == 父のウォルターがスペインでプロバスケットボール選手として活躍していた関係でマドリードで生まれ、ニューヨーク州ロングアイランドで育った。マイアミ大学卒業後NBAにエントリーし1999年のNBAドラフトでミネソタ・ティンバーウルブズに全体の6位指名を受けNBA入りを果たした。ルーキーながら出場した73試合中53試合で先発出場。1試合平均11.6得点、FG成功率51.1%を記録し、オールルーキー1STチームに選出された。 その後5シーズン半ウルブズでプレーするが、チームメートのケビン・ガーネットと練習中に殴り合いを起こしたり、「一人でボールを独占する傾向がある」と批判を受けたが、高確率で決めるミドルシュートと、ガッツあふれるプレーでチームの中核として活躍した。また、2000年にはオールスター・ルーキーゲームでMVPを受賞し、2002年にはオールスターにも出場している。 05-06シーズン中、再建の始まったウルブズは高額契約のザービアックをボストン・セルティックスに放出(このトレードでウルブズはリッキー・デイビスらを獲得)。セルティックスでは数字を落としたものの、看板プレーヤー、ポール・ピアースのバックアップとしてプレー。しかし、移籍後は怪我に苦しんでいる状態が続いた。 2007年6月28日、NBAドラフト当日のトレードにより、レイ・アレンらとの交換でデロンテ・ウェストと共にシアトル・スーパーソニックスへ移籍し、さらに2008年2月のトレード期限ぎりぎりに、クリーブランド・キャバリアーズへと移籍した。 2009年、ニューヨーク・ニックスのロースター入りを目指したが3度目の左ひざの手術を行った彼は引退を決意した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウォーリー・ザービアック」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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