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ウォーリー・ピップ(Wally Pipp)ことウォルター・クレメント・ピップ(Walter Clement Pipp, 1893年2月17日 - 1965年1月11日)は、メジャーリーグのプロ野球選手(内野手)。 ニューヨーク・ヤンキースでは二度の本塁打王を獲得。ピップの欠場がルー・ゲーリッグの連続試合出場のきっかけとなったことで知られる。 == 来歴・人物 == アメリカ・カトリック大学在学中、デトロイト・タイガースで12試合に出場。 大学卒業後の1915年にニューヨーク・ヤンキースに入団し、以後一塁手のレギュラーとして活躍。1916年には12本塁打を放ち、ヤンキース球団史上初のア・リーグ本塁打王となる。翌1917年も二年連続で本塁打王となった。1921年からのリーグ三連覇、1923年のワールドシリーズ制覇に貢献。また、その頃コロンビア大学に在学していたルー・ゲーリッグを見出し、自らの後継者としてミラー・ハギンス監督に獲得を進言したという。 1925年6月2日、ハギンス監督は不振の上頭痛を訴えたピップに代え、ゲーリッグをスタメンに起用する。これは当時のヤンキースでちょくちょく行われていたスタメン変更のひとつであったが、ゲーリッグはこのチャンスを掴みレギュラーに定着。これが2130試合連続出場記録の始まりとなった。さらにその一ヵ月後ピップは練習中に頭蓋骨骨折の怪我を負い、シーズン終了後にはシンシナティ・レッズにトレードされた。以後3シーズンはレッズで活躍し、1928年限りで現役を引退。通算226犠打はヤンキースの球団記録である。 その後はスポーツ・イラストレイテッド初のライターの一人として活躍した。 1965年、ミシガン州グランドラピッズにて死去。グランドラピッズのウッドローン墓地に埋葬されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウォーリー・ピップ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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