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ウォーレス・ヒューム・カロザース(Wallace Hume Carothers, 1896年4月27日 - 1937年4月29日)はアメリカの化学者。デュポンの有機化学部門のリーダーとして、世界で初めて高分子から成る化学繊維を発明した。 デラウェア州ウィルミントン近郊にあるデュポンの研究所でグループリーダーを務め、、そこで重合体の研究の大部分を行った〔Roberts, RM (1989) ''Serendipity: Accidental discoveries In Science'', John Wiley & Sons, Inc. ISBN 0-471-60203-5〕。そこでカロザースはネオプレンの基礎となる研究を行い、ナイロン開発を行った。博士号取得後デュポンで基礎研究をする前は、いくつかの大学で教職についていた。 1936年2月21日、ヘレン・スイートマンと結婚。若いころからうつ病に悩まされていた。ナイロンで成功を収めたにもかかわらず、何も達成できておらず、才能が枯渇したと考えるようになる。妹が亡くなるという不幸も重なり、1937年4月28日、チェックインしたフィラデルフィアのホテルの一室で青酸カリを混ぜたレモンジュースを飲んで自殺〔Burton, Holman, Lazonby, Pilling & Waddington, ''Chemical Storylines'', Heinemann Educational Publishers, 2000. ISBN 0-435-63119-5〕。彼の娘は7カ月後の1937年11月27日に誕生した。 カロザースの発明したナイロンは、綿から合成繊維への転換をもたらし、世界を変える偉大な発明だった。しかしながら死亡した当時は、ナイロンはデュポン社の企業秘密だったため、功績の大きさにもかかわらず、カロザースは無名のままこの世を去った。2000年11月、没後60年以上が経ち、カロザースはアメリカ科学振興協会から、ようやく表彰を受けた。 == 学生時代まで == アイオワ州バーリントンにて4人兄弟(弟1人、妹2人)の長男として生まれる。幼いころから機械いじりが好きで、実験ばかりしていた。デモインのパブリックスクールに入学し、学校では真面目な生徒として知られていた。卒業後、父が副校長を務めていた商業専門学校に進学し、会計と秘書業務を学び、1915年7月に卒業。 1915年9月、ミズーリ州のに進学。当初英語を専攻していたが、化学に転向した〔D. L. Fishel, personal reminiscence from A. Pardee (1959).〕。化学では天賦の才を発揮し、教授が他の大学に移った後は卒業前にもかかわらず講師を務めていた〔Zumdahl, Susan and Steven. Chemistry. New York, NY: Houghton Mifflin Company, 2007.〕。1920年、24歳でターキオを卒業すると、イリノイ大学大学院に進学。教授の下で1921年に修士号を取得した〔 D. L. Fishel, personal conversations with C. Marvel and A. Pardee (1959).〕。 1921年から22年にかけて、で化学の講師を務めている。そこでの研究をまとめた論文が米国化学会誌に掲載された。と〔Chemical Book (2010) entry for phenyl azide 〕の物理特性を論じた論文である。この2つの化合物の特性はよく似ており、彼は後者の化学組成を C6H5-N=N=N のように窒素原子が直線的に連なったものとした(従来はリング状だと見られていた)〔W.H. Carothers (1923), J. Amer. Chem. Soc. 45, 1734-1738 ''The isosterism of phenyl isocyanate and diazobenzene-imide''〕。 イリノイ大学に戻ると、の下で博士課程を学び、1924年に博士号を取得。専門は有機化学だが、物理化学や数学も得意とした。1922年から23年にかけては研究助手も務め、1923年から24年にかけては奨学金を支給されていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウォーレス・カロザース」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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