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ドミトリー・イヴァノヴィチ(, 1582年10月19日 - 1591年5月15日)は、ロシアのツァレーヴィチ、ウグリチ公。雷帝イヴァン4世とその7番目の妻マリヤ・ナガヤとの間の息子。 正教会の聖人でもあり、ウグリチのドミトリー(、Dmitry of Uglich)とも呼ばれている。 == 生涯 == 1582年、イヴァン4世が62歳のときに生まれた。 1584年にイヴァン4世が亡くなると、ドミトリーと年の離れた兄フョードル1世がその後を継いだが、ロシアの事実上の支配者となったのはフョードルの妻の兄で、大貴族のボリス・ゴドゥノフだった。 後に広まった話では、ゴドゥノフは自分がツァーリになる野心を抱いており、子供のいないフョードルの後を継ぐ可能性のあったドミトリーを排除しようと考えていたという。 1584年、ゴドゥノフはドミトリーとその母親マリヤ、そしてマリヤの兄弟を、ドミトリーが分領として与えられていたウグリチに追いやった。 1591年5月15日、ドミトリーは友達らと遊んでいる最中、謎に包まれた状況で、刃物による刺し傷が原因となって8歳で亡くなった。 しかし、1598年にフョードル1世が子供のないまま没し、ボリス・ゴドゥノフがツァーリに即位すると、もう一人の継承者となるはずだったドミトリーの死の真相を巡って、ロシアでは様々な噂が飛び交った。 ドミトリーの死はリューリク朝の断絶を決定づけ、またその死をめぐる謎がその後の政治的混乱の重要なファクターとなったため、ロシアの動乱時代に常に影を落とし続けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウグリチのドミトリー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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