翻訳と辞書
Words near each other
・ ウグイス科
・ ウグイス科 (Sibley)
・ ウグイス色
・ ウグイ亜科
・ ウグイ属
・ ウグエン・アカデミーFC
・ ウグメ
・ ウグラ
・ ウグラ川
・ ウグリチ
ウグリチのドミトリー
・ ウグリッチ
・ ウグルチン
・ ウグル・イルディリム
・ ウグレゴルスク
・ ウグレゴルスク (サハリン州)
・ ウケウリ
・ ウケウリ!!
・ ウケクチウグイ
・ ウケグチノホソミオナガノオキナハギ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ウグリチのドミトリー : ウィキペディア日本語版
ウグリチのドミトリー

ドミトリー・イヴァノヴィチ(, 1582年10月19日 - 1591年5月15日)は、ロシアツァレーヴィチウグリチ公。雷帝イヴァン4世とその7番目の妻マリヤ・ナガヤとの間の息子。 正教会聖人でもあり、ウグリチのドミトリー(、Dmitry of Uglich)とも呼ばれている。
== 生涯 ==

1582年イヴァン4世が62歳のときに生まれた。
1584年にイヴァン4世が亡くなると、ドミトリーと年の離れた兄フョードル1世がその後を継いだが、ロシアの事実上の支配者となったのはフョードルの妻の兄で、大貴族のボリス・ゴドゥノフだった。
後に広まった話では、ゴドゥノフは自分がツァーリになる野心を抱いており、子供のいないフョードルの後を継ぐ可能性のあったドミトリーを排除しようと考えていたという。
1584年、ゴドゥノフはドミトリーとその母親マリヤ、そしてマリヤの兄弟を、ドミトリーが分領として与えられていたウグリチに追いやった。
1591年5月15日、ドミトリーは友達らと遊んでいる最中、謎に包まれた状況で、刃物による刺し傷が原因となって8歳で亡くなった。
しかし、1598年にフョードル1世が子供のないまま没し、ボリス・ゴドゥノフがツァーリに即位すると、もう一人の継承者となるはずだったドミトリーの死の真相を巡って、ロシアでは様々な噂が飛び交った。
ドミトリーの死はリューリク朝の断絶を決定づけ、またその死をめぐる謎がその後の政治的混乱の重要なファクターとなったため、ロシアの動乱時代に常に影を落とし続けた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウグリチのドミトリー」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.