|
恵須取町(えすとるちょう)は、日本の領有下において樺太に存在した町。 恵須取という地名は、アイヌ語の「エストル」(岬が長く伸び出ている所)、「エツウトル」(岬の中間)、「エシトリ」(湾の外れにあり、本当に人間の居る所)による〔南樺太:概要・地名解・史実 p.370〕。 当該地域の領有権に関する詳細は樺太の項目を参照のこと。現在はロシア連邦がサハリン州ウグレゴルスクなどとして実効支配している(行政区分は一致しない)。 == 概要 == 間宮海峡に面する恵須取川河口に位置する。恵須取支庁が設置され、真岡町と並ぶ樺太西海岸の中心的都市であった。王子製紙(元樺太工業)の製紙工場と炭鉱の町として急速に発展し、1945年(昭和20年)10月1日には市制が施行される予定であったが、ソ連による占領のため実現しなかった。1937年(昭和12年)末の人口は31959人である。市街地は港湾を中心とする浜市街と鉱山を中心とする山市街に分かれていた。 戦前の建造物はソビエト連邦時代に改築が進み、ほとんど残っていない。現在も残存している物には、旧王子製紙工場や旧恵須取小学校の奉安殿や旧恵須取神社の鳥居や標柱等がある。 以前NHKラジオ第2放送の気象通報では敷香(ポロナイスク)から入電がないときは恵須取からの気象情報を放送していたが「ウグレゴルスク」ではなく「エストル」としていた。近郊(塔路)に日本軍によって建設されたウグレゴルスク空港がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「恵須取町」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|