翻訳と辞書
Words near each other
・ ウジェニー・ド・モンティジョ
・ ウジェニー・フィオクル
・ ウジェニー・ブランシャール
・ ウジェヌ・ドゥラクロワ
・ ウジェラング環礁
・ ウジェント
・ ウジェーヌ
・ ウジェーヌ・アジェ
・ ウジェーヌ・アントニアディ
・ ウジェーヌ・イオネスコ
ウジェーヌ・イザイ
・ ウジェーヌ・イヨネスコ
・ ウジェーヌ・エナール
・ ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク
・ ウジェーヌ・カリエール
・ ウジェーヌ・クリキ
・ ウジェーヌ・グラッセ
・ ウジェーヌ・グーセンス
・ ウジェーヌ・サルブ
・ ウジェーヌ・シモン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ウジェーヌ・イザイ : ウィキペディア日本語版
ウジェーヌ・イザイ

ウジェーヌ=オーギュスト・イザイEugène-Auguste Ysaÿe, 1858年7月16日 リエージュ - 1931年5月12日 ブリュッセル)は、ベルギーヴァイオリニスト作曲家指揮者
== 略歴 ==
5歳の頃から父親にヴァイオリンの指導を受け、リエージュ音楽院に進むとアンリ・ヴュータンヘンリク・ヴィエニャフスキに師事、いわゆる「フランコ・ベルギー派」の教育を受ける。音楽院を卒業後はベンヤミン・ビルゼの楽団(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の前身)においてコンサートマスターを務めるかたわらソリストとして演奏活動を行う。この時期にヨーゼフ・ヨアヒムクララ・シューマンフランツ・リスト、後にともに演奏旅行を行うアントン・ルビンシテインなどと親交を結ぶ。
イザイは1885年コンセール・コロンヌと共演したことで決定的な成功を収め、以降欧米各地で名声を博した。イザイのために作品を書いた作曲家にはセザール・フランクカミーユ・サン=サーンスエルネスト・ショーソンなどがいる。1886年にはを設立し、後にクロード・ドビュッシーの『弦楽四重奏曲』を初演した。指揮者としても活動し、1918年シンシナティ交響楽団の音楽監督に就任している。ニューヨーク・フィルハーモニックからの招聘もあったが、これは多忙な演奏活動のために辞退した。
また1886年ブリュッセル音楽院の教授に就任し、後進の指導にも力を入れた。弟子にはナタン・ミルシテインジョニー・ハイケンスジョーゼフ・ギンゴールドオスカー・シュムスキーウィリアム・プリムローズなどがいる。
没後の1937年からはイザイを記念した「イザイ国際コンクール」が開催され、これはエリザベート王妃国際音楽コンクールの前身となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウジェーヌ・イザイ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.