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ウジェーヌ・ギュスターヴ・ヴォロ(Eugène Gustave Vaulot〔Patrick Agte « Europas Freiwillige der Waffen-SS »(Munin Verlag, 2000)p163〕, 1923年6月1日 - 1945年5月2日)は、第二次世界大戦期ドイツ国(ナチス・ドイツ)の国防軍(陸軍・海軍)と武装親衛隊に所属したフランス人義勇兵。1945年4月末のベルリン市街戦に参加した武装親衛隊フランス人義勇兵の中でソビエト赤軍戦車を最も多く撃破し、フランス人初の騎士鉄十字章受章者となった。 1941年下旬から1943年初旬まではドイツ陸軍のフランス人義勇兵部隊「反共フランス義勇軍団」(LVF:ドイツ陸軍第638歩兵連隊)に所属し、東部戦線での戦功によって二級鉄十字章を受章。1944年5月からはドイツ海軍(Kriegsmarine)に所属していたが、1944年9月、再編成に伴って武装親衛隊(Waffen-SS)へ移籍した。 第33SS所属武装擲弾兵師団「シャルルマーニュ」(33. Waffen-Grenadier-Division der SS „Charlemagne”)では師団司令部直属エリート歩兵中隊「名誉中隊」(Compagnie d'Honneur)の第2小隊長を務め、1945年2月下旬の東部戦線・ポメラニアへ出陣。2月25日午後、エルゼナウ(''Elsenau''、現オルシャノボ(Olszanowo))の戦いで「シャルルマーニュ」師団司令部に迫った赤軍戦車部隊のうち、IS-2(スターリン重戦車)を含む2輌の赤軍戦車を撃破した(一級鉄十字章受章)。 独ソ戦の最終局面である1945年4月末、「シャルルマーニュ」師団の生存者の中で戦闘継続を希望した約300名の将兵の1人となり、「フランスSS突撃大隊」(Französische SS-Sturmbataillon)に配属された「戦術学校」(Kampfschule)(旧称:名誉中隊)の第6分隊長(6. Truppführer)としてベルリン市街戦に参加。市街戦中にパンツァーファウストを用いた近接戦闘で赤軍戦車を合計8輌撃破した功績により、1945年4月29日、フランス人として初めて騎士鉄十字章を受章した。最終階級はSS所属武装伍長(Waffen-Unterscharführer der SS)〔Grégory Bouysse « Waffen-SS Français volume 2 »(lulu, 2011)、"Sous-Officiers et soldats issus de la Kriegsmarine, SK : Sous-officiers : Eugène VAULOT" 〕〔「SS所属武装 *」(Waffen- * der SS)の名称を義勇兵の氏名と併記する場合は、「SS所属」(der SS)の部分が省略される。 例: ウジェーヌ・ヴォロ武装伍長(''W-Uscha.'' Eugène Vaulot)〕。 他の日本語表記として、ウジェーヌ・ヴァンロー〔、コージューヌ・ヴーロー〔ヴィル・フェイ(著), Will Fey(原著), 梅本弘(翻訳)『SS戦車隊・下』(大日本絵画、1994年)p282〕、ファウロート〔高橋慶史『続 ラスト・オブ・カンプフグルッペ』(大日本絵画、2005年)p315〕がある。 == 第二次世界大戦初期~後期 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウジェーヌ・ヴォロ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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