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ウスチ=クート : ウィキペディア日本語版
ウスチ=クート

ウスチ=クート(, Ust-Kut)はロシアイルクーツク州に属する都市。東シベリアの大河レナ川の西岸沿いに、20キロメートルにわたって町が広がっている。近くでクタ川が西からレナ川に合流しており、「ウスチ=クート」という地名も「クタ川の河口」を意味する。クタ川という名は先住民エヴェンキの言葉で「泥炭」を意味する。2002年の国勢調査では人口は49,951人。2006年の推計人口は46,642人。
== 歴史 ==

1631年、東シベリアに進出してきたコサックアタマン(指導者)、イヴァン・ガリキンがレナ川沿いのこの地に砦を作ったことが町の始まりである。砦の軍事的重要性は17世紀後半から徐々に失われたが、町はレナ川の河港として重要になり、レナ川沿いの交易路の始点の一つになった。
町の西にある鉱泉(1925年スパが建設された)は17世紀に極東探検家エロフェイ・ハバロフによって発見されたとされている。彼は他にもウスチ=クートの開発に尽力し、レナ川を東へ進んでラプテフ海方面やオホーツク海カムチャツカ半島アラスカ方面へと向かう探検家たちの拠点・中継地にもなった。
一方でウスチ=クートは20世紀初頭には政治犯の流刑地としても使われ、レフ・トロツキーもこの地に流されていた。ロシア内戦が終わるとソ連政府は学校、病院、スパなどをこの周辺に建設している。
1950年から近郊の(Osetrovo)で、レナ川沿岸最大の港湾地区の建設がはじまった。1951年にはシベリアを横断する第二の鉄道であるバイカル・アムール鉄道(バム鉄道)が、シベリア鉄道上のタイシェトからウスチ=クートへ伸びてきた〔正式にはの一部。(杉内信三・佐川篤男・小泉光市2005年「ロシア・東シベリア以東の石炭輸送インフラの現状と将来 」(日本エネルギー経済研究所HP掲載)。〕。ウスチ=クートはレナ川の河港のうちで唯一鉄道が通る町となり、鉄道貨物をレナ川水系を往来する船(ヤクーツクなどへ向かう便)へ積み替える物流拠点として栄えることになった。1954年には、もとのウスチ=クートの町とオセトロヴォが合併し、ウスチ=クート市が誕生した。
ウスチ=クートから東へバイカル・アムール鉄道を延伸する工事はスターリン時代が終わるとともに途絶え、長年工事は再開されなかった。1974年バイカル湖の北岸を超えて日本海に至る工事が再開され、ウスチ=クートは西の工区の建設本部となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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