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ウダイプリー・バーイー : ウィキペディア日本語版
ウダイプリー・マハル
ウダイプリー・マハル(Udaipuri Mahal, 1640年 - 1707年6月8日直後)は、北インドムガル帝国の第6代皇帝アウラングゼーブの妃。カーム・バフシュの母親でもある。ウダイプリー・バーイー(Udaipuri Bai)とも呼ばれた。
==生涯==
ウダイプリー・マハルは奴隷の娘だった。出身地についてはあまりよくわかっておらず、メーワール王国ウダイプルの出身とも、カシミールの出身ともいわれる〔Delhi 7 〕。あるいはグルジア出身ともされている〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p233〕。
最初はダーラー・シコーの妃だったが、1659年に彼がアウラングゼーブに処刑されると、その妃となった〔
1667年3月6日、アウラングゼーブの最後の息子であるカーム・バフシュを生んだ〔〔。
1681年以降、アウラングゼーブがデカン地方に遠征するとそれに随行し、その晩年の面倒を見ていた〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p246〕。
1707年3月にアウラングゼーブがアフマドナガルで死ぬと、ウダイプリー・マハルも同年6月8日の直後に後を追うようにグワーリオールで死亡した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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