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ウダイ・サッダーム・フセイン・アッ=ティクリーティー(عدي صدام حسين、Uday Saddam Hussein、1964年6月18日 - 2003年7月22日)は、イラク元大統領サッダーム・フセインとその最初の妻サージダ・ハイラッラーの長男。クサイの兄。新聞「アル=バービル紙」、テレビ局「アル=シャハーブ・テレビ」、ラジオ局「ボイス・オブ・イラク」といった独自のメディアを設立、自ら経営していた。ニコラエ・チャウシェスクの息子ニク・チャウシェスクとはスイスやモナコで度々会うなど親しくした〔Latif Yahia; Karl Wendl (1997). I Was Saddam's Son (in English). Little, Brown and Company. p. 297. ISBN 978-155-970-373-4.〕〔Pacepa, p.63〕。以前は、サッダームの後継者と目されていた。日本国内での報道では「ウダイ氏」と呼ばれることが多い。別名は「アブー・サルハーン」という。 == プロフィール == === 生い立ち === ウダイは、サッダームの長男として生まれてから、両親に甘やかされて育てられたと言われ、それが後の歪んだ人格に大きく影響したと言われる。これはサッダーム自身が継父から体罰などの厳しい教育を受けたためで、「自分の子には厳しいしつけはしたくない」という親心からだったといわれる。 高校は、弟と共に、父の母校で、かつて母が統括していたハールフ高校に通った。当時の同級生の回想によるとウダイは騒々しく、乱暴な性格で手に負えない生徒だった。また、しばしば実弾入りの弾帯を巻いて登校していたという。車に夢中だったらしく、気に入った生徒の父母の車を見つけると護衛に命じて奪い取ったりした。ウダイが足を骨折した時にはクラスごと1階に引っ越したと言われる。このころには、葉巻や”女性”にも手を出していた。そんなウダイの当時の夢は、イラクが核兵器保有国となるために核物理学者になることだったという。そして物理学を学ぶために、アメリカの大学に留学するはずであったが、1980年にイラン・イラク戦争開戦したため、夢は断たれた。 1984年、ウダイはバグダード工科大学を首席で卒業する。毎夜のようにナイトクラブに通っていたことを考えると怪しい成績であり、話によれば、ウダイに高得点を付けない教師は報復として拷問を受けたり、解雇されたりしたという。後にウダイは政治学の博士号を授与された。 ウダイは、前々からスポーツに関心を示し、自ら「アル=バアス・アッ=リヤーズィー」(スポーツ復興の意)というスポーツ雑誌を発行していた。とりわけサッカーに興味があり、イラン・イラク戦争中に自ら「アル=ラシード」というサッカークラブを創設した。このクラブでは、高い報酬や装備、食事、兵役免除などの特典があった。アル=ラシードの選手は、前線では無く、バグダード周辺警備が任務の共和国防衛隊の特別部隊に配属された。また、イラク各地のサッカークラブの優秀な選手を引き抜いた事も国民を怒らせた。そのため、アル=ラシードとバグダードで人気のある学生クラブとの試合では、大半の首都住民が学生チームを応援した。ウダイは実況解説者やサポーターも買収しており、解説者はアル=ラシード寄りの解説をし、審判もアル=ラシードに有利な判定を下すなどした。学生クラブのサポーターの怒りは頂点に達しており、相手選手に石を投げつけるなどした。不穏な事態を恐れて、試合会場には警官隊が配置されたが、審判の機転により、試合は引き分けで終わった。 戦時中で、同世代の若者が戦場で戦っているにも関わらず、ウダイはバグダードの高級ナイトクラブで酒と女に溺れていた。サッダームの命令で一兵士としてイラク陸軍に入隊したが、軍当局の計らいで、危険な前線からは遠ざけられ、ほとんど軍の任務には参加しなかった。ウダイが前線に行くところ必ず、イラク軍参謀総長のアブドゥル=ジャッバール・シャンシャール大将が同行した。ある時、サッダームとウダイが、イラン軍との最前線に現れた。サッダームはウダイにイラン軍を攻撃せよと命じ、シャンシャール大将の説得も空しくウダイは戦闘ヘリで飛び立ち、イラン軍とおぼしき一群を攻撃した。後に判明したところでは、ウダイがミサイルで攻撃した一群はイラン軍では無く、味方であるはずのイラク軍の部隊であった。 そのような失態は伏せられ、バアス党のプロパガンダ機関は、ウダイが前線で勇敢に戦い、イラン軍を撃退したという旨の写真、記事を発表し続けた。 1986年、サッダームはウダイを政界進出と青年層の掌握、スポーツ外交を通じて、後継者として世界に認知させるために、青年省の傘下にあるイラク・オリンピック委員会長に任命した。ウダイは翌年に青年省を廃省し、オリンピック委員会が同省の権限を引き継いだ。巨大な権力と地位の足がかりを手に入れた、しかし、ある事件によりすべての権力を失うことになる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウダイ・サッダーム・フセイン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Uday Hussein 」があります。 スポンサード リンク
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