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パオロ・ウッチェロ(Paolo Uccello, 1397年 - 1475年12月10日)は初期ルネサンスの画家。国際ゴシック様式の潮流と遠近法に代表されるルネサンスの科学的アプローチを融合させた絵画を創出した。しかし、あまりにも遠近法に固執したため、ルネサンス後期の画家のみならず、19世紀のロマン主義においてもしばしば批判の対象となった。 == 経歴 == 1397年頃に、床屋兼外科医の子としてプラトヴェッキオに生まれる。〔'':w:Private Life of a Masterpiece'', BBC TV〕〔Borsi, Franco & Stefano. ''Paolo Uccello''. pp. 15, 34. London: Thames & Hudson, 1994.〕1412年頃にロレンツォ・ギベルティの工房に弟子入りし、1415年にはフィレンツェ医師薬剤商組合に登録されている。また1425年から1427年頃まで、ヴェネツィアのサン・マルコ聖堂のモザイク装飾に携わった記録が残されている。 ヴェネツィアのフィレンツェ大使の推薦を受け、1431年にフィレンツェに帰国した彼は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の仕事を受けることになった。1436年にはフレスコ画『ジョン・ホークウッド』(ジョヴァンニ・アクート)を完成させ、他に西壁の時計の文字盤と、ドーム下部のステンドグラス3枚をデザインしている。 ジョルジョ・ヴァザーリによれば、1445年にドナテッロに呼ばれ、パドヴァのヴィタリーニ邸のフレスコ画の作成を行ったとされるが、その他の資料によって確認されているものの、初期の代表作とされるこれらのフレスコ画は現存していない。1440年代に作成されたフレスコ画は、サン・ミニアート・アル・モンテ教会とサンタ・マリア・ノヴェッラ教会に残っている。特にサンタ・マリア・ノヴェッラの『大洪水と終息』は、彼の最高傑作として言及される。 遠近法を駆使した『サン・ロマーノの戦い』三部作がいつごろ製作されたのかは不明だが、晩年、1450年代か1460年代と推測されている。晩年の彼は、ヴァザーリによれば、家に引きこもり、貧しい暮らしをしたとされるが、実際にはそれほど困窮はしていなかったとの指摘もある。 1475年12月10日に死去し、サント・スピリト教会に埋葬された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パオロ・ウッチェロ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Paolo Uccello 」があります。 スポンサード リンク
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