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ウマール・ウィラハディクスマ : ウィキペディア日本語版
ウマール・ウィラハディクスマ

ウマール・ウィラハディクスマ (Umar Wirahadikusumah、1924年10月10日-2003年3月21日)は、インドネシアの第4代副大統領である。
軍人であり、陸軍内で要職を歴任、退役前には陸軍参謀長を務めた。退役後は官界入りし、会計検査院長を務めた後、副大統領に就任した(在職期間は1983年-1988年)。
敬虔なムスリムとして信仰心も深く、清廉な政治家として知られた。
== 青少年期 ==
ウマール・ウィラハディクスマは、オランダ植民地時代の1924年10月10日、父ラデン・ランガ・ウィラハディクスマと母ラデン・ラトナリングルムの間に生まれた。両親がラデンの称号を持っていることから、ウマールはジャワ貴族の家系の生まれであったことがわかる。そして当時の貴族の子弟がそうしたように、初等教育はヨーロッパ人子弟のための小学校 (ELS)、中等教育は普通中学校 (MULO) に進み、オランダ語で教育を受けた。
太平洋戦争が始まり、1942年3月1日に日本軍がジャワ島に上陸すると(蘭印作戦)、ジャワでは日本の軍政が敷かれた。ウマールは軍政当局が設立した青年団の団員に選ばれ〔ジャワ青年団は1943年3月に設立され、入団は14歳から25歳まで(後に22歳まで)の「原住民」青年の自由意思による、との規定があった。実際には、比較的裕福な家庭の、教育を受けた青年たちの中から区長が指名した。入団後の日常的な訓練は、日本語インドネシア語を学ぶ言語科目、教練・体操などの修練科目、農業などの職業科目などがあった。こうした教育・訓練活動の他に、農作業などの勤労奉仕活動も行なった。詳細は、倉沢、1992年、第7章「軍事訓練と農村大衆」を参照。〕、青年団リーダーとして、下位の団員たちの訓練に当たった。青年団におけるこうした役割は、1944年10月、郷土防衛義勇軍(、1943年10月3日設立)〔歩兵中心の補助的な軍事力と位置づけられる は、一般応募者の中から選抜されたインドネシア人義勇兵によって構成されており、連合国との戦いで日本軍を支援するという目的をもっていた。〕に彼が参加してからも、引き継き担っていくことになった。
インドネシアが独立を宣言すると、ウマールは同世代の青年の多くがそうしたように、インドネシア国軍 () の前身である、人民治安軍 () に加入した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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