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ウリヤンハイ三衛 ウリヤンハイ三衛()とは、14世紀から16世紀にかけてヒンガン山脈周辺に居住した遊牧集団であり、朶顔衛(ウリヤンハイ)・泰寧衛(オンリウト)・福余衛(オジェード)の三衛によって構成された。モンゴル帝国-大元ウルス時代の東方三王家の後裔と見られ、洪武二十一年(1386年)明朝に降伏し羈縻衛所に編成されたことで成立した。後に南下して遼西方面に居住したが、チャハル部の東遷以後は他の部族に併合され、「三衛」は事実上解体された〔岡田 2000,80頁〕。 == 名称 == 漢文史料においては「兀良哈(ウリヤンハイ)三衛」〔『明史』「兀良哈伝」、『珠域周咨録』、『四夷館考』〕、「朶顔(ドヤン)三衛」〔『四夷考』、『三衛志』〕、もしくは単に「三衛」と記されている。「朶顔/兀良哈」で以て三衛を総称するのは朶顔衛が三衛の中で最も南に位置し明朝との交流も最も多かったためである〔岡田 2000,80頁〕。しかし、実際にウリヤンハイ人によって構成されるのは朶顔衛のみであり、泰寧衛と福余衛はそれぞれオンリウトとオジェートによって構成されていた〔青木 1973,92頁〕。 一方で、蒙古源流などのモンゴル語で書かれた歴史書では、この東方の勢力を山陽の六千オジェード()、またはオジェード=ウルス()と呼称している〔吉田1998,271-272頁〕。これは、明朝とは逆に最もに北に位置する福餘衛(オジェード)を以てこの集団を総称したためである〔岡田 2000,80頁〕。また、オジェードの居住地がヒンガン山脈の日の当たる側だったため、「山陽のトゥメン」とも称した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウリヤンハイ三衛」の詳細全文を読む
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