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ウルビ・エト・オルビ(ラテン語:Urbi et Orbi)は、ラテン語で、直訳すると「都市と周円に」という語である。ローマ帝国において「帝都ローマと属領へ」という意味で勅令や布告文の冒頭の定型として使用されていた。今日ではカトリック教会の教皇が「ローマ市と全世界へ」という意味で行う公式な祝福のことをいう。 == 概説 == この祝福は基本的に年に二回、復活祭とクリスマスのたびごとに、教皇によってサン・ピエトロ大聖堂のロッジアからサン・ピエトロ広場の信徒に向けて行われる。カトリック教会信徒にとっては教皇の祝福を受けることは罪の償いの免除、すなわち全免償が与えられる条件の一つを満たすことを意味する。この祝福は多くのテレビ局やラジオ局(欧州放送連合)によって全世界へ配信されており、祝福を視聴しただけでも免償の効果があると考えられている。祝福に先立って教皇は時候の挨拶と各国語での祝福の言葉を述べるのが慣例になっている。ただし現教皇フランシスコは祝福の部分のみラテン語で、それ以外はイタリア語で通しており、各国語の祝福の言葉は廃されている。 「ウルビ・エト・オルビ」は上記の機会以外にも、教皇の着位時にも行われる。またごくまれな機会であるが聖年の間、巡礼者に対して行われることもある。教皇の祝福は「Et benedictio Dei omnipotentis, Patris et Filii et Spiritus Sancti descendat super vos et maneat semper」という言葉で締めくくられる。これは「全能の神たる父と子と聖霊の祝福が諸君らに下らんことを、そして常に留まらんことを」という意味である。 1870年9月20日にイタリア王国軍がローマが進駐する以前には「ウルビ・エト・オルビ」はもっと頻繁にさまざまな場所で行われていた。たとえばサン・ピエトロ大聖堂では聖木曜日、復活祭、聖ペトロの祝日、および教皇戴冠式に行われ、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂では主の昇天の祭日および新教皇がローマ司教に着座する祝い時、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂では聖母の被昇天の祝日といった具合であった。しかしイタリア王国軍のローマ進駐以後、教皇ピウス9世は自らを「バチカンの囚人」として抗議の意味で祝福をとりやめた。のちにイタリア政府とローマ教皇庁の間で関係改善が行われたことで、限定的に「ウルビ・エト・オルビ」が復活して現代に至っている。 祝福は大聖堂でのみ行われるとは限らない。教皇インノケンティウス10世は1650年の聖年時、主の公現、聖霊降臨、諸聖人の日にあたってクイリナーレ宮殿のバルコニーから「ウルビ・エト・オルビ」を行い、以後の教皇たちもこれにならっていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウルビ・エト・オルビ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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