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ウルフ・アロン(Aaron Phillip Wolf、1996年2月25日 - )は、東京都葛飾区新小岩出身の、日本の柔道選手である。階級は100kg級。身長181cm。組み手は左組み。段位は参段。得意技は大内刈〔「柔道全日本強化選手名鑑 2016」近代柔道、ベースボールマガジン社、2016年4月号〕。現在は東海大学に在学〔東海大学体育会柔道部 | 男子部員紹介 。2014年10月26日閲覧。〕。父親はアメリカ出身で駒澤大学の講師を務めている〔ケタ外れのパワー!日本柔道重量級の救世主か 、東京スポーツ。2014年10月26日〕〔ウルフ逆転初V「顔は失敗したけど、柔道は失敗したくない」 スポーツニッポン 2015年11月8日〕。 ==経歴== 柔道は6歳の時に講道館にある春日柔道クラブで始めた。1学年上にはベイカー茉秋、1学年下には朝比奈沙羅がいた〔。全国少年柔道大会の団体戦では小学校5年の時に2位、6年の時に3位となった〔。文京区立第一中学から東海大浦安高校に進むと、1年の高校選手権では個人戦無差別で國學院大栃木高校の横山尭世に払巻込で敗れて2位、団体戦では先輩のベイカーらとともに活躍して優勝した〔。 2年の時には全日本カデ90kg超級で優勝すると、金鷲旗でも優勝を飾った〔。インターハイの個人戦100kg級では3位だったが、団体戦では優勝して高校3冠(全国高校選手権、金鷲旗、インターハイ)を達成することになった〔。国体少年男子の部でも千葉県の優勝に貢献した〔。 2年の高校選手権無差別では準決勝で佐藤和哉に大内返で敗れて3位だったが、団体戦ではチームの優勝に貢献した〔。3年の金鷲旗でも優勝を飾った〔。インターハイ100kg超級では準々決勝で佐藤をGSに入ってから有効で下すなどして優勝したものの、団体戦では準々決勝で修徳高校に敗れて、2年連続の高校3冠はならなかった〔。全日本ジュニアでは3位だったが、国体少年男子の部では2連覇を果たした〔。その後階級を100kg級に変更して講道館杯に出場するが初戦で敗れた。2014年3月には全日本選手権関東予選で優勝を果たした〔。 4月からは東海大学へ進学した〔。全日本選手権では初戦で元チャンピオンである新日鉄住金の高橋和彦に技ありで敗れた。優勝大会ではチームの7連覇に1年生ながら貢献し、全日本ジュニアでは優勝を果たした〔。世界ジュニアでは準々決勝でロシアのラマザン・マルスイゲノフに合技で敗れるも、敗者復活戦を勝ち上がって3位になった〔Junior World Championships 。2014年10月26日閲覧。〕。続く講道館杯では大学の先輩となる旭化成の羽賀龍之介に送襟絞で敗れるも3位となった〔。 2年の時には優勝大会の決勝で筑波大学と対戦すると、大将戦で81kg級の永瀬貴規に指導2で敗れて大会8連覇を逃すことになった〔 時事通信 2015年6月28日〕。その直後に出場したグランプリ・ウランバートルでIJFワールド柔道ツアー初優勝を飾った〔 時事通信 2015年7月5日〕。グランプリ・タシュケントでも優勝を飾った〔Grand Prix 2015, Uzbekistan - DAY THREE 〕。体重別団体でも優勝した〔 時事通信 2015年10月25日〕。11月の講道館杯では決勝で京葉ガスの下和田翔平と対戦すると、先に有効2つを取られるも終盤に内股で逆転勝ちした。この際に「顔はハーフで(男前じゃなくて)失敗したけど、柔道は失敗したくない」と発言して場内の笑いを誘った〔〔柔道、100キロ級はウルフがV デイリースポーツ 2015年11月8日〕。12月のグランドスラム・東京では初戦でアゼルバイジャンのエルマール・ガシモフに敗れた〔グランドスラム東京2015 〕。 3年の時には4月の選抜体重別の決勝で下和田を指導2で破って今大会初優勝を飾った〔平成28年全日本選抜柔道体重別選手権大会 〕。 IJF世界ランキングは300ポイント獲得で40位(16/5/2現在)〔World ranking list 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウルフ・アロン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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