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ウル第三王朝[うるだい3おうちょう]
ウル第三王朝(ウルだい3おうちょう、''3rd dynasty of Ur'')は、紀元前22世紀から紀元前21世紀にかけてメソポタミアを支配した王朝。 ウルの軍事司令官であったウル・ナンムが自立して、前22世紀末にウル第三王朝が建てられた。建国者のウル・ナンムは、神殿の建築や運河の建設などを行うとともに、ウル・ナンム法典と称される法典を定めた。この法典は、のちに古バビロニア王国でまとめられるハンムラビ法典に影響を与えたと考えられる。第2代シュルギの時代までに行政機構が確立し、王権の神格化も進んでいった。 しかし、まもなくこの王朝はアムル人やエラム人の侵入に苦慮することとなった。シュルギ王やのちのシュ・シン王は、彼らの侵入を防ぐために防壁を設けた。 紀元前2004年(または紀元前1940年)、シュ・シンの息子であるイビ・シン王の時代にエラムが侵攻するとウルは陥落。エラム人によって王ははるか東方へ連行され、これをもってウル第三王朝は滅亡した。 == その後 == 都市国家バビロンはアムル人の影響下に置かれ、紀元前1830年にバビロン第1王朝が誕生し、紀元前18世紀に第6代の王ハンムラビがメソポタミアを再び統一した。一方、アッシュールは、紀元前1813年にアムル人のシャムシ・アダド1世が古アッシリア王国のエリシュム2世を破って新王に即位したが、ヒッタイトの台頭に押された。中アッシリア王国の時代には、当初はフルリ人のミタンニ王国勢力圏下に置かれたが、アッシュール・ウバリト1世の治世にミタンニ王国の影響下を脱すると、バビロニアを征服して古代オリエントの一大勢力となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウル第三王朝」の詳細全文を読む
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