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エアダブリン () とは、1990年代半ばに活躍した日本の競走馬である。現在は韓国で種牡馬生活を送っている。半妹にダンスパートナー(オークス)、ダンスインザムード(桜花賞)、半弟にダンスインザダーク(菊花賞)がいる。 馬名の由来は冠名の「エア」に、アイルランド共和国の首都・ダブリン。デビュー戦から5歳の天皇賞(春)までは岡部幸雄が、宝塚記念からラストランの目黒記念までは四位洋文が手綱を取っている。 ※馬齢は2000年以前に使用された旧表記(数え年)で統一する。 == 競走馬時代 == ==== 3歳~4歳 ==== エアダブリンは1993年10月9日、東京競馬場でデビュー。この時は単勝1.1倍の圧倒的1番人気に推されたが、5着に敗れている。それでも2戦目の未勝利戦で勝ち上がると、500万下条件のエリカ賞も勝って、3戦2勝で3歳のシーズンを終えている。 翌1994年、4歳になったエアダブリンは皐月賞トライアルの若葉ステークスに出走したがオフサイドトラップの4着に敗れてしまい、皐月賞に出走できなかった。それでもダービートライアルの青葉賞で1着〔重賞に昇格した青葉賞の初代の勝ち馬となった。〕になり、初の重賞制覇となった。 そして、日本ダービーでは優勝したナリタブライアンに5馬身離されたものの2着となり、エアダブリンを管理する伊藤雄二がステイヤーの素質を持つと明言した事、更に長距離のレースを得意とする岡部幸雄が主戦騎手を務めていた事から菊花賞でナリタブライアンの牡馬クラシック三冠達成阻止に挑む有力馬の1頭となった。 しかし、セントライト記念3着、京都新聞杯〔この1994年の京都新聞杯は京都競馬場が改修工事中のため、阪神競馬場で施行された。〕3着を経て出走した菊花賞では、ナリタブライアンの3冠制覇を阻止できず、約8馬身差離された3着に終わっている。 菊花賞後、エアダブリンは有馬記念への出走を避け、ステイヤーズステークスに出走し、3分41秒6の日本レコード〔このレコードタイムは2012年現在も破られていない。〕で優勝した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エアダブリン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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