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エイドリアン・ボールト : ウィキペディア日本語版
エイドリアン・ボールト

サー・エイドリアン・セドリック・ボールト(Sir Adrian Cedric Boult, 1889年4月8日 - 1983年2月22日)は、イギリス指揮者
== 生涯 ==
チェスターで生まれた。ウェストミンスター・スクール在籍中のディナー・パーティでエドワード・エルガーと出会い、この時エルガーから自作の総譜を見せられつつ解説を受けた。その後オックスフォード大学を経てライプツィヒ音楽院に入学、マックス・レーガーに作曲を師事。また、この時期にライプツィヒで活躍していたアルトゥール・ニキシュに私淑し、大きな影響を受けた。
1914年コヴェント・ガーデン王立歌劇場の音楽スタッフとしてプロデビュー。1918年グスターヴ・ホルストの組曲『惑星』の試演、翌1919年、「金星」と「海王星」を除く初演を指揮。
1920年、初演以来忘れられていたエルガーの交響曲第2番を再演して成功を収め、この作品が再評価されるきっかけを作った。これに対し、作曲者のエルガーはボールトに手紙を書いて業績を称えた。同年にはレイフ・ヴォーン・ウィリアムズの『ロンドン交響曲』改訂版の初演にも携わった。
1924年バーミンガム市交響楽団指揮者、次いで1930年BBC交響楽団の初代首席指揮者に就任。この時期ボールトは同時代の音楽にも目を向けており、アルバン・ベルクの『ヴォツェック』のイギリス初演などを指揮した。
1937年ナイトに叙せられた。
1951年ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者となった。1959年 - 1960年には再びバーミンガム市響の音楽監督を務めた。
1966年10月30日、史上最大の交響曲、管弦楽曲であるハヴァーガル・ブライアン交響曲第1番「ゴシック」をBBC交響楽団とプロオーケストラとして初演。この演奏は録音されており、長らく海賊盤として出回っていたが、2009年にTESTAMENTレーベルより正規盤が発売された。
1977年10月12日、最後の公開コンサートを開催。1978年5月から7月にかけ、ホルストの『惑星』を録音した。
1981年に引退を宣言し、1983年2月22日に死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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