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エウゲニウス3世 : ウィキペディア日本語版
エウゲニウス3世 (ローマ教皇)[えうげにうす3せい]
エウゲニウス3世(Eugenius III、生年不明 - 1153年7月8日)は、第2回十字軍を呼びかけたローマ教皇(在位1145年 - 1153年)。
イタリアピサ近郊出身と見られ〔、シトー会のに入り、クレルヴォーのベルナルドゥスのもとで修行した。のちにローマ近郊のシトー会修道院の院長をへて、クレルヴォーのベルナルドゥスの影響力によって初のシトー会出身のローマ教皇となった。しかし、まもなく反対派のに率いられた市民の反乱によってローマを追放され、その在位期間のほとんどを各地に滞在して過ごすことになるが、1148年にアルノルドを破門した結果、アルノルドは処刑台送りとなり勝利した。
十字軍国家エデッサ伯領が失われたことをフランスで聞き、1145年12月、ルイ7世教皇勅書を送り、十字軍を呼びかけた〔この教皇勅書の詳細は:en:Quantum praedecessoresを参照。〕。クレルヴォーのベルナルドゥスの勧誘演説により、国王2人を含む多くの参加者を得たが、ほとんど成果を挙げられず大失敗に終わった。
1153年7月8日に避暑のため滞在していたティヴォリで死去、ローマ(現在はバチカン市国)のサン・ピエトロ大聖堂に埋葬された。ちなみにクレルヴォーのベルナルドゥスもひと月ほど後の8月20日に死去した。〔
== 世界遺産との関連 ==
世界遺産として1981年に認定されたフォントネーのシトー会修道院の教会堂を献堂したことでも知られるが、これは上記放浪中の1147年のことであった〔。また、1990年に登録されたサン・ジミニャーノ歴史地区にあるはエウゲニウス3世による建設である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エウゲニウス3世 (ローマ教皇)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Pope Eugene III 」があります。



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