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エウセビオス
カエサレアのエウセビオス(, Eusebios, 263年ごろ - 339年5月30日)は、ギリシア教父の一人であり、歴史家にして聖書注釈家。314年前後からカエサレア・マリティマの司教(主教)を務めた。その師パンフィロスとともに正典の確定に関わり、『福音の論証』『福音の備え』『福音間の矛盾について』といった、聖書テキストの研究を残す。またとりわけ歴史著述において、彼をして後世「教会史の父」と呼ばわしめた代表作『教会史』が知られるほか、『パンフィロスの生涯』『年代記』『パレスティナ殉教者列伝』といった業績がある。自ら「パンフィロスの(息子)エウセビオス」を名乗ったといわれる〔上智大学中世思想研究所『中世思想原典集成〈1〉 初期ギリシア教父』平凡社。p. 698。〕。日本正教会ではエウセウィと転写される。'', Eusebios, 263年ごろ - 339年5月30日)は、ギリシア教父の一人であり、歴史家にして聖書注釈家。314年前後からカエサレア・マリティマの司教(主教)を務めた。その師パンフィロスとともに正典の確定に関わり、『福音の論証』『福音の備え』『福音間の矛盾について』といった、聖書テキストの研究を残す。またとりわけ歴史著述において、彼をして後世「教会史の父」と呼ばわしめた代表作『教会史』が知られるほか、『パンフィロスの生涯』『年代記』『パレスティナ殉教者列伝』といった業績がある。自ら「パンフィロスの(息子)エウセビオス」を名乗ったといわれる〔上智大学中世思想研究所『中世思想原典集成〈1〉 初期ギリシア教父』平凡社。p. 698。〕。日本正教会ではエウセウィと転写される。 ==史料== エウセビオスの生涯について知られるところは少ない。彼の後任のカエサレア司教であるアカキウスが伝記『エウセビオスの生涯』を著したが、すでに散佚している。現存するエウセビオスの著作も、おそらくその著作全体のほんの一部に相当するに過ぎない。エウセビオスは4世紀におけるアリウス論争で、アリウス派に同情的な態度を示したゆえに、エウセビオス個人に対しての後世の評価は芳しくなく、彼の著作の保存も熱心には行われなかった〔Louth, "Eusebius and Birth of church history", 266; cf. Wallace-Hadrill, 7.〕。エウセビオスを伝える代表的な史料としては、現存する彼自身の著作以外に、4世紀のキリスト教著述家ヒエロニュムスによるものや、5世紀の教会史家ソクラテス・スコラスティスコスやソーゾメノス、キュロスのテオドレトスによるものがある。エウセビオスの動静を窺わせる同時代史料としては、アタナシオス、アリウス、ニコメディアのエウセビオス、アレクサンドリアのアレクサンドロスによるものがあり、彼の弟子エメサのエウセビオスも幾つかの些末な情報を伝えている〔Wallace-Hadrill, 11.〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エウセビオス」の詳細全文を読む
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