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エジプト軍によるラルナカ国際空港襲撃 : ウィキペディア日本語版 | エジプト軍によるラルナカ国際空港襲撃[えじぷとぐんによるらるなかこくさいくうこうしゅうげき] エジプト軍によるラルナカ国際空港襲撃は、1978年2月19日に、キプロスのラルナカ国際空港で起きたエジプト軍とキプロス国家防衛隊(キプロス軍 en)の戦闘である。人質を取って旅客機に乗っていた暗殺犯を、エジプトが特殊部隊により独断で制圧しようとし、警備中のキプロス軍と戦闘に陥ってしまった。結果的に人質救出にはつながったものの、エジプト兵15人が戦死し、エジプトとキプロスの外交関係悪化を招いた。 == セバイ暗殺事件 == 1978年2月18日、キプロスのニコシアで開催中のアジア・アフリカ人民連帯機構(Afro-Asian Peoples' Solidarity Organization, AAPSO)代表者会議の会場に、2名の武装した男が侵入した。そして、エジプトから出席していたユーセフ・エル・セバイ書記長に向かって拳銃を発砲、射殺する暗殺事件が発生した。 犯人はヨルダンとクウェート出身のアラブ過激派だった。事件を起こした動機は、当時のエジプトのアンワル・アッ=サーダート政権が、イスラエルに融和的な外交方針を採っていたことへの反発であった。殺害されたセバイは、エジプト政府を支持するアル=アハラム紙の会長で、サーダート大統領とは軍勤務時代からの友人という人物だった〔Egyptian Figures: Youssef al-Sebai (2010年6月17日閲覧)〕。パレスチナ解放機構(PLO)とエリトリア解放戦線(ELF)の関与が疑われたが、いずれも否定する声明を発表している。ベイルートで発行の親リビア紙「アルキファ」「アルアラビ」は、暗殺を称賛する報道を行った〔土井(1995年)、322-323頁。〕。
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