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清田 益章(きよた ますあき、1962年4月30日 - )は、1970~80年代にかけて超能力者としてマスメディアに取り上げられた人物。「エスパー清田」とも呼ばれる。スプーン曲げなどの念力や念写などを披露した。2003年春に「脱・超能力者」を宣言し〔元スプーン曲げ少年、人生も曲げた…大麻所持で逮捕 スポーツ報知 2006年11月1日(2006年11月14日時点のアーカイブ)〕、イベント企画会社の代表を務める。 == 経歴 == 東京都生まれ。専修大学松戸高等学校、専修大学文学部卒業。1974年にユリ・ゲラーが話題になったのを機に全国で見出された、いわゆる「超能力少年・少女」たちの一人。 かつての超能力少年たちのほとんどがトリックを暴かれるなどして姿を消していった中で、青年になって以降も何らかの形で(その機会はきわめて数少ないながらも)メディア出演等といった表舞台で活動していたと言えるのは清田一人のみであった。 1974年には火星にテレポートしたと話しており〔『エニグマ』1976年12月号〕〔日笠雅子編『超能力野郎 清田益章の本当本』扶桑社、1988年〕〔山本弘、皆神竜太郎、志水一夫『トンデモUFO入門』洋泉社、2005年、pp.201-202〕、ゼネフという肉体を持たない宇宙人とは何度もコンタクトしていたという〔山本弘「超能力者の人生・その光と影」『トンデモ本の世界W』と学会著、楽工社、2009年、pp.150-159〕。当時は火星で見た景色は実際の火星の景色と似ていると話題になったという。なお、実際に行ったかどうかはわからないとも語っている。本はまったく読んだことが無く、勉強もしたことがないという。つのだじろうと交友があって、書状を巻物で送ってくるなどが「ちょっとウザい」とも話している(『博士の異常な鼎談』清田益章)。 防衛大学校や電気通信大学等にて長年行われてきた超能力研究に積極的に参加。海外においても、さまざまな研究機関において超能力研究に有益な実験データを残している。研究者の論文で日本のスプーン曲げの超能力者として「Masuaki Kiyota」の名前は有名で『超常現象のとらえにくさ』でも清田の名がみられる。 1984年にテレビ番組で、スプーン曲げと念写でトリックや不正をしていた一部始終が放送される(後述)。 1989年頃には「辻仁成のオールナイトニッポン」にも時折ゲストとして出演していた。 その後ミュージシャンへの転身を宣言、1990年にアルバム「さよなら神様」(MMG) にてロック歌手としてデビューしたが、8000枚を売るにとどまった。当時はさくらももこらの著名人との交流でも知られていた。しかしその後はメディア等への露出の機会も激減し、自由奔放な生活を送っていたとされる。 2003年春に「脱・超能力者宣言」をし、超能力実験の被験者になるのはやめたものの、テレビ番組やイベントではスプーン曲げを披露していた〔〔皆神龍太郎、石川幹人『トンデモ超能力入門』楽工社、2010年、p.154〕。 近年は「祈り」と「踊り」を組み合わせた「おのり」なるものを探求している。 2度結婚しているが、離婚している。妻との間に子供はいない。妻との離婚後に、2004年までバリ島に在住した 〔スプーン曲げ「清田少年」が大麻で捕まるまで 『日刊ゲンダイ』 2006年11月1日付〕。 2006年10月6日、知人から大麻13gを譲り受けたとして大麻取締法違反容疑で逮捕され〔大麻取締法違反:元スプーン曲げ少年、清田容疑者を逮捕 毎日新聞 2006年10月31日〕、同年12月5日、東京地方裁判所にて懲役1年・執行猶予3年の判決を下された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清田益章」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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