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エスミル・アントニオ・ロジャース(Esmil Antonio Rogers , 1985年8月14日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在は、韓国プロ野球のハンファ・イーグルスに所属している。 兄のエド・ロジャースも野球選手で、ボルチモア・オリオールズで3シーズンのメジャー経験がある。 == 経歴 == === プロ入りとロッキーズ時代 === 7月10日にコロラド・ロッキーズと契約。 、傘下のルーキー級キャスパー・ロッキーズでプロデビュー。15試合に登板し、3勝6敗・防御率6.96だった。 はA級アッシュビル・ツーリスツで19試合に登板し、7勝4敗・防御率3.75だった。 はA+級モデスト・ナッツで25試合に登板し、9勝7敗・防御率3.95だった。 3月4日にロッキーズとメジャー契約を結び、3月9日にAA級タルサ・ドリラーズへ異動した。開幕後はAA級タルサで15試合に登板し、8勝2敗・防御率2.48と好投したため、7月にAAA級コロラドスプリングス・スカイソックスへ昇格。AAA級コロラドスプリングスでは12試合に登板し、3勝5敗・防御率7.42だった。9月12日にメジャーへ昇格し、同日のサンディエゴ・パドレス戦で先発起用されメジャーデビュー。4回を投げ3安打2失点2四球2奪三振だった。この年は1試合の登板にとどまった。 3月5日にロッキーズと1年契約に合意。3月21日にAAA級コロラドスプリングスへ異動したが、開幕直前の4月3日にメジャーへ昇格した。開幕後はリリーフとして3試合に登板したが、4月16日にAAA級コロラドスプリングスへ降格。5月1日にリリーフのフアン・リンコンがDFAとなったため、メジャーへ昇格。昇格後は先発として2試合に登板したが、いずれの試合も打ち込まれたため、その後はリリーフに再配置された。5月23日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦では5点リードの5回1死から登板し、2回を投げ5安打2失点だったが、メジャー初勝利を挙げた。6月2日にフランクリン・モラレスが故障者リストから復帰したため、AAA級コロラドスプリングスへ降格。6月30日に再昇格し、2試合に登板したが、7月9日にホルヘ・デラロサが故障者リストから復帰したため、AAA級コロラドスプリングスへ降格。8月8日に先発として再昇格し、同日のピッツバーグ・パイレーツ戦で2勝目を挙げたが、その後4試合では勝ち星を挙げることができず、9月からリリーフに復帰した。シーズン最終戦となった10月3日のセントルイス・カージナルス戦では先発として登板したが、4回7安打4失点(自責点2)で敗戦投手となった。この年は28試合に登板し、2勝3敗・防御率6.13だった。 3月3日にロッキーズと1年契約に合意。開幕後は先発として5試合に登板し、3勝(1敗)を挙げたものの、防御率は7.66と結果を残せず、5月7日には広背筋の痛みを訴え、15日間の故障者リスト入りした。7月25日に復帰。8月から先発に復帰し2連勝したものの、その後は勝ち星から遠ざかり、9月中旬には再びリリーフに転向された。この年は18試合に登板し、6勝6敗・防御率7.05だった。 3月3日にロッキーズと1年契約に合意。リリーフとして開幕ロースター入りし、開幕後は23試合に登板したが、0勝2敗、防御率8.06と結果を残せず、6月9日にDFAとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エスミル・ロジャース」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Esmil Rogers 」があります。 スポンサード リンク
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