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エチオピア・エリトリア国境紛争 : ウィキペディア日本語版 | エチオピア・エリトリア国境紛争[えちおぴあ えりとりあこっきょうふんそう]
エチオピア・エリトリア国境紛争(エチオピア・エリトリアこっきょうふんそう)は、1998年5月6日から2000年6月18日までの間、アフリカのエチオピアとエリトリア間で行われた戦争のことである。発端は国境紛争ではあるが、互いの首都を空爆しあうなど、規模は極めて大きく、犠牲者も多かった。第二次世界大戦以降に勃発した国家間紛争のうち、死者数が10万人を超えるとされるのは、朝鮮戦争、インドシナ戦争、ベトナム戦争、イラン・イラク戦争と本紛争のみである〔http://www.correlatesofwar.org/〕。両国とも経済規模が小さい貧国であり、身の丈に合わない戦争の継続が地域の破綻を招くとして、開戦以降、国際連合やアフリカ統一機構(OAU、現在のアフリカ連合)などが積極的に仲介に乗り出している。また、この紛争はロシアとウクライナの代理戦争としての側面もあった。ロシアがエチオピアを、ウクライナがエリトリアを支援した。 == 背景 == エリトリアは1961年から1991年までの30年間にわたり、エチオピアからの独立闘争を繰りひろげた。エチオピアの社会主義政権崩壊の結果、1993年にエリトリアは独立を達成し、両国の関係は正常化した。しかし、エリトリアの独自通貨発行や内陸国となったエチオピアによるエリトリア国内の港湾の使用料の交渉が難航したことなどで、両国の関係はふたたび険悪化(背景には、エリトリア側の独立による民族意識の高揚と、エチオピア側が影響力(通貨の流通や港湾の使用)の行使を維持させたい思惑があった)。また、国境沿いにある都市バドメ周辺の国境線は未確定のままであり、両国は違った見解をもっていた。当時、バドメ周辺に金鉱脈が発見され、その所有をめぐる紛争が原因というニュースも流れたが定かではない。
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