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エットーレ・アルコ・イジドロ・ブガッティ(''Ettore Arco Isidoro Bugatti'' 、1881年9月15日 - 1947年8月21日)は、イタリアのミラノに生まれ、フランスのアルザス地方モールスハイムに自動車メーカー・ブガッティを創業した自動車実業家・技術者・デザイナーである。. == 創業まで == 父カルロ・ブガッティと母テレサ・ロリオリの長男として、イタリアのミラノに生まれた。カルロは有名なアールヌーヴォー様式の家具・宝飾品のデザイナーで、弟(エットーレの叔父)のレンブラントは動物を主に題材とした彫刻家、カルロの従姉妹のルイジーアは画家ジョヴァンニ・セガンティーニの妻である。またカルロの義理の祖父であり、エットーレの曽祖父であるジョヴァンニ・ルイージ・ブガッティも画家・彫刻家で、ブガッティ家はまさに芸術家一族であった。故国イタリアを離れてパリに居を構え、一家の交友相手の大半はフランス人であった。 早くから自動車に関心を持ち、まだ10代であった19世紀末から、当時ようやく勃興しはじめた自動車メーカーのためにエンジンや車体を設計した。第1作は1898年にプリネッティ・ストゥッキのために設計した自動車で、この車は後にブガッティ研究者によって「ブガッティ・タイプ1(T1)」と呼ばれている。 その後、1901年にT2を開発、ミラノの自動車博覧会で賞を獲得した。これがディートリッヒ社のオーナー・ディートリッヒ男爵の目に止まり、1902年から1904年にはエットーレが設計した車がディートリッヒ・ブガッティのブランドで製作されることになり、T3からT7が生まれた。1907年には、ドイツ(Deutz Gasmotoren Fabrik)社のためにT8・T9を設計し、独立後の1913年にもプジョーのために小型車ベベ(Bébé)BP1型を設計した。 1907年には自宅地下室でT10を自主開発、独立に備えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エットーレ・ブガッティ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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