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エドワード・ソーンバラ : ウィキペディア日本語版 | エドワード・ソーンバラ
サー・エドワード・ソーンバラ(Sir Edward Thornbrough、1754年7月21日-1834年4月3日)は、イギリス海軍の軍人で、18世紀の終わりから19世紀の始めにかけて、長期にわたり任務についた古参士官である。アメリカ独立戦争、フランス革命戦争、そしてナポレオン戦争に参戦して、数度にわたって負傷し、1度は乗っていた艦が難破した後、アメリカ軍に捕囚されたが、難破の際の、アメリカ人捕虜への姿勢が立派なものであるとみなされ、アメリカ当局はその後、執行猶予も捕虜交換もせずに彼を釈放した。 後にソーンバラは、栄光の6月1日で、混戦の只中に自分のフリゲート艦を乗り入れ、フランスの戦列艦に包囲されて損傷のひどいベレロフォンを曳航して安全な場所に移した。のちにソーンバラは、海峡艦隊と、カスバート・コリングウッド指揮下の地中海艦隊とで上級大将(シニア・アドミラル)を務め、大きな尊敬を受けた。1818年に現役を引退して3度目の妻とデボンに住み、1834年に死去した。 ==海軍入隊== ソーンバラは1754年に、海軍指揮官の父エドワードと母メアリーの間に生まれた。父が海軍軍人だったこと、海軍基地の生まれで、特に子供時代を海の近くで暮らしたこともあり、幼いエドワードの将来は決定した。1761年に父のいる海軍に、アロガントのキャプテンズサーヴァントとして入り地中海で2年間を過ごし、この海に親しみを覚えるようになった。1763年、9歳での乗員名簿に登録される一方で学校に通い、1768年に海軍に戻り、で父と共に任務についた。このテメレールの艦長はエドワード・ル・クラスで、ソーンバラは後にル・クラスの娘のうちの2人と結婚することになる〔Thornbrough, Sir Edward , ''Oxford Dictionary of National Biography'', C. H. H. Owen, Retrieved 25 January 2008〕。 テメレールはポーツマスの護衛艦で、非戦時の任務は退屈なものだった。そのためソーンバラは、自分の知識を広めるために、数隻の艦を移動し、ジブラルタルを旅行し、アルビオンの艦上で時間を過ごした。その後父と共にに移動し、1771年には共にボストンへ航海した。その2年後、このキャプテンはアメリカの港で護衛艦として就役し、提督の海上の指令本部ともなった。ソーンバラは、スループ艦で短期間の単独での航海をしたが、単独であるという点を除けば、この任務は平凡なものだった。そして1774年には、キャプテンでイギリスに戻った〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エドワード・ソーンバラ」の詳細全文を読む
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