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エドワード・オーガスティン・ウォルシュ(Edward "Ed" Augustine Walsh , 1881年5月14日 - 1959年5月26日)は、アメリカペンシルベニア州プレインズ出身のプロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。愛称は"Big Ed"(ビッグ・エド)。 通算防御率はMLB歴代1位。にアメリカ野球殿堂入りを果たした。息子のエド・ウォルシュ・ジュニアもMLB選手。 == 経歴 == 5月7日にシカゴ・ホワイトソックスでMLBデビュー。 スピットボールをマスターした3年目のに、17勝13敗・10完封を記録。同年のワールドシリーズでも2勝を挙げる。 にアメリカンリーグ最多の422.1回・防御率1・60を記録して、最優秀防御率のタイトルを獲得した。この頃から手抜きをせずに初回から全力で投げる投球を心掛けるようになった。 には66試合にも登板。40勝15敗で最多勝・リーグ最多奪三振269・防御率1.42の活躍。この年のシーズン40勝は以降のMLBでは他にのジャック・チェスブロしか達成していない記録である。 以後はまでホワイトソックスのエースとして活躍する。1906年からの6年間で、登板回数リーグ最多が5回、先発回数リーグ最多が3回、投球回リーグ最多が4回など、非常に投球回数が多かったものの、一方で防御率は1906年からの5年連続で1点台、最も悪い年でもの2.22であった。 1911年8月27日には対ボストン・レッドソックス戦でノーヒットノーランを達成した。 1912年は62試合に登板。27勝17敗に加えてリーグ史上初の年間二桁セーブ(10)を挙げたが、シーズン終盤から腕に違和感を感じるようになる。 からは強烈な腕の痛みに苦しみ、登板回数は激減した。 7月20日にボストン・ブレーブスへ移籍。12月28日にブレーブスから放出され、現役を引退した。 からホワイトソックスのコーチを務め、に3試合だけホワイトソックスの監督としてチームを指揮した。戦績は1勝2敗である。 にベテランズ委員会による選考でアメリカ野球殿堂入りを果たした。 1950年代後半にがんに罹り、かつて200ポンド(約90.7kg)あった体重が100ポンド(約45.3kg)未満にまで落ちてしまった。1959年5月26日、フロリダ州ポンパノビーチにて死去。。 息子のエド・ウォルシュ・ジュニアもMLBでプレーしたが、成功を収める事が出来なかった。関節リウマチに起因する心臓病に長い間苦しみ、1937年10月31日に32歳の若さで亡くなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エド・ウォルシュ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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