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エド・ローシュ(Edd J. Roush、1893年5月8日 - 1988年3月21日)は、1910~1920年代のアメリカ・メジャーリーグの選手。主なポジションは中堅手。インディアナ州オークランドシティ生まれ。左投げ左打ち。1910~20年代のシンシナティ・レッズで活躍した俊足・巧打の外野手。 == 経歴 == 1913年にマイナーのエバンスビル球団から、シカゴ・ホワイトソックスに入団するが、9試合に出場しただけで、翌1914年にはフェデラル・リーグに移籍。インディアナで74試合、ニューアークで145試合に出場する。リーグ解散後の1916年にはニューヨーク・ジャイアンツにトレードされ、その年の半ばにはクリスティ・マシューソン、ビル・マケシュニーと共にシンシナティ・レッズにトレードと、4年間で5球団を渡り歩く。 レッズに落ち着いた1917年以降は打撃成績も向上し、同年は.341で首位打者を獲得する。また2年後の1919年には2度目の首位打者となり、同年のホワイトソックスとのワールドシリーズも制覇した。ただこの年のワールドシリーズは、後にホワイトソックス側の八百長疑惑(ブラックソックス事件参照)に発展する、いわくつきの対戦でもあった。 レッズには1926年まで10年以上在籍し、その間打率が3割を切ることはなかった。この間は首位打者のほかに、1923年に二塁打数でリーグ最多、1924年には三塁打数でリーグ最多を1度ずつ記録している。1927年にジョージ・ケリーとのトレードで再度ジャイアンツに移籍するが、1930年は年俸交渉がこじれ、まる1年プレーしなかった。1931年に現役を引退する。ローシュは46オンス(約1.3kg)もある重いバットを使っていたが、現役中に一度もそのバットを折ったことがなかったという。通算本塁打は68本だが、うち30本がランニングホームランである。 1960年にレッズ球団の殿堂入り選手に選ばれ、2年後の1962年に、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。1970年7月24日には、本拠地クロスリー・フィールドの最後の試合に招かれ、始球式を行っている。 1988年にフロリダ州ブレイデントンで94歳で死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エド・ローシュ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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