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エフゲニー・パシュカーニス : ウィキペディア日本語版 | エフゲニー・パシュカーニス
エフゲニー・ブロニスラヴォヴィチ・パシュカーニス(, 1891年2月23日 - 1937年9月)は、ソビエト連邦の法学者。 == 人物 == 帝政期のロシアに生まれる。19歳の時に、革命運動に関係したとの理由で国外に追放され、ドイツのミュンヘン大学で学んだ。ソビエト連邦成立後に法学者としての頭角を現し、1924年『法の一般理論とマルクス主義』の出版によって、マルクス主義法学の指導的地位に立つ。当時のソ連法学界はミハイル・レイスネル、アレクサンドル・ゴイフバルクといった非マルクス主義的法学者が幅を利かせており、ピョートル・ストゥチカらマルクス主義理論の提唱者は劣勢に立たされていたが、同書によってストゥチカの理論の欠陥を除去し、より発展させることを企図したのであった。結果、激しい賛否両論を巻き起こしつつも、従来の理論の影響力を弱めることに成功した。 しかし1930年後半より、自ら『法の一般理論とマルクス主義』に欠陥があったことを認めて理論を修正し、1932年『国家と法の理論』の監修を通じて新しい理論を発表した。この段階では彼の考えはまだ十分成熟しておらず、特に現実に存在したソビエト法の具体的分析に関しては紙幅が割かれていなかった。以後のソ連法学者の関心は専らそのような分析に注がれ、1935年彼の監修による『ソヴェト経済法教程』にまとめられた。 その後は同志ニコライ・クルイレンコを助けつつソ連憲法の草案作成や立法事業に携わるが、1937年1月、著作にトロツキズムの要素があると指摘されて逮捕され、同年9月、ヨシフ・スターリンの大粛清の犠牲となり、クルイレンコと共に命を落とした〔『法の一般理論とマルクス主義』(稲子恒夫訳,日本評論社,1958年)解題〕。
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