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エフゲニー・ベルズィン : ウィキペディア日本語版
エフゲニー・ベルズィン

エフゲニー・ベルズィン(、1970年6月3日 - )は、ロシアヴィボルグ出身の元自転車競技選手。ジロ・デ・イタリアを1994年、ロシア国籍選手として初めて制覇した。
自転車競技雑誌等では、エフゲニー・ベルツィンと表記している例もみられる。

== 経歴 ==

アマチュア時代は、1988年のジュニア世界自転車選手権の団体追い抜き優勝。1989年1990年の団体追い抜き及び1990年の個人追い抜きと、トラックレース世界自転車選手権で3度マイヨ・アルカンシエルを手中にした。
1993年、メカイル・バッランと契約を結んで、プロロードレース選手に転向。
1994年リエージュ〜バストーニュ〜リエージュを制覇。ジロ・デ・イタリアでは、マルコ・パンターニ(2位)、ミゲル・インドゥライン(3位)らを抑え、第4ステージよりマリア・ローザを手中にし、そのまま最後まで守り通して総合優勝(第4、8、18ステージも制覇)を果たした。また、国内選手権・個人タイムトライアルを優勝。
1995年ジロ・デ・イタリアでは、第21ステージを制し総合2位。エウスカル・ビシクレタ総合優勝。
1996年ツール・ド・フランス第8ステージ制覇。2日間マイヨ・ジョーヌ堅持。ジロ・デ・イタリア第19ステージを制覇し、総合10位。
2000年ジロ・デ・イタリア開幕直前のドーピング検査において、ヘマトクリット値が50%を超えたことから参加を拒まれた〔Berzin out of the Giro - サイクリングニュース2000年5月14日付記事〕。これが影響して、同年限りで現役を引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エフゲニー・ベルズィン」の詳細全文を読む



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