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エベン・モグレン(, 1959年7月13日 - )は、アメリカ合衆国・コロンビア大学の教授である。専門は法・法制史。知的財産権を専門とする弁護士でもある。フリーソフトウェア財団(Free Software Foundation, FSF)を初めとするフリーソフトウェア・オープンソースソフトウェアの開発を行う多くの非営利団体や個人を''プロボノ''で援助する法的組織、Software Freedom Law Center(SFLC)を共同で設立し、2011年現在その''理事・顧問''(''Director-Counsel'')並びに''議長''(''Chairman'', 代表)を務めている。2007年までFSFの顧問弁護士(法律顧問)であった〔 〕。 リチャード・ストールマンらとともに、FSFのGNU General Public Licenseバージョン3(GNU GPL v3)の起草者並びに著作者である。 == 職歴 == IBMのコンピュータプログラミング言語の設計者として、まず最初の職歴を刻んでいる〔 〕〔 〕。その後、彼はスワースモア大学で学び、在学中にフィリップ・M・ヒックス賞の文芸評論部門("Philip M. Hicks Prize for Literary Criticism")〔 〕を受賞している。1980年、同大学で学士号を取得した。1985年にはイェール大学でジュリス・ドクター(Juris Doctor, JD)と歴史学のMaster of Philosophy(M.Phil.)を授与されている。1987年からは、ハーバード大学、テルアビブ大学、バージニア大学に講師として招聘されている。 1986年から1987年まで、サーグッド・マーシャル判事の〔 主に大学の法科を卒業した学生が、の目的で、書記などのボランティアを法廷内で行うことをいう。但し、裁判所書記官(Court clerk)とは異なり法廷における法的な権限は一切ない。 〕を務めた。1987年、彼はに入学し、1988年、ニューヨークにて弁護士資格を得た〔 〕。彼は1993年にイェール大学にて歴史学のPh.D.も授与されている。 モグレンは、米国の特許制度の乱用を監視する非営利団体、Public Patent Foundationの''理事''(''Director'')を務めていた。 また、米国の暗号輸出規制の真っ只中、公開鍵暗号システムの実装であるPretty Good Privacy(PGP)を作成したフィル・ジマーマン(Phil Zimmermann)が当局の取り調べを受けたことに対し、彼の弁護士を務めていた〔 〕。 2003年には、電子フロンティア財団(Electronic Frontier Foundation, EFF)のを受賞している。 2005年2月、Software Freedom Law Center(SFLC)を設立した。 モグレンとFSFとの関係は深く、1994年からは''首席(法務)顧問''(''General counsel'')、2000年から2007年までは理事を務めていた。顧問としてのモグレンの仕事は、FSFの法的な代理人として、GNU General Public License(GPL)の強制(エンフォースメント)に関する任務であった〔 〕。のちに彼はGPLv3の草稿策定作業にも深く関与するようになった。2007年4月23日、彼はFSFの理事を退く旨の記事をブログに書いた。モグレンはGPLv3草稿第3版を公開した後は、執筆活動や教育そしてSFLCの活動により注力したい旨語った〔 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エベン・モグレン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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