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エマニュエル・シャブリエ : ウィキペディア日本語版
エマニュエル・シャブリエ

アレクシ=エマニュエル・シャブリエAlexis-Emmanuel Chabrier, 1841年1月18日 - 1894年9月13日)は、フランス作曲家狂詩曲スペイン』の作曲者としてよく知られる。
== 略歴 ==
オーヴェルニュ地方のアンベール生まれ。幼い頃からピアノや作曲に興味を示し、とくにピアノの腕前は天才といわれるほどであった。しかし、父親の強い勧めによってパリで法律を学び、内務省に就職した。シャブリエは公務員生活を送る傍ら、フォーレダンディら作曲家と親交を持ち、独学で作曲の勉強をつづけた。マネモネセザンヌら画家とも親しく、絵画の収集もしていたという。
1880年、ミュンヘンにおいて、ワーグナー楽劇トリスタンとイゾルデ』を観たことで、音楽の道に専念することを決意したという。『トリスタンとイゾルデ』の動機を使った作品として、1886年にアンドレ・メサジェとの共作による4手のためのピアノ曲『ミュンヘンの思い出』が残されている。メサジェには、フォーレと共作した『バイロイトの思い出』(こちらは『ニーベルングの指環』を扱っている)という同趣向の作品もある。シャブリエは39歳で内務省を退職し、作曲家としての活動を本格的に開始した。
1888年レジオンドヌール勲章のシュヴァリエ章を受賞したが、晩年は麻痺に苦しみ、1894年にパリで病没した。シャブリエは死の床で、パッシー墓地のマネの墓の近くに埋葬してほしいと遺言していたが、モンパルナス墓地に埋葬された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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