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エマヌエーレ・セッラ : ウィキペディア日本語版
エマヌエーレ・セッラ

エマヌエーレ・セッラ(Emanuele Sella、1981年1月9日- )は、イタリアヴィチェンツァ出身の自転車競技ロードレース)選手。
==経歴==

2004年、CSFグループ・ナヴィガーレと契約を結んでプロ転向
*ジロ・デ・イタリアに初出場し、第11ステージを制覇(総合12位)。
2005年
*ジロ・デ・イタリア 総合10位
2007年
*ジロ・デ・イタリアは総合11位。
2008年
*ジロ・デ・イタリアでは、標高差が実に1600mを越える区間が設けられた第14ステージにおいて、50km近い単独アタックを成功させて快勝。さらに5つの標高2000m級の峠を通過するという過酷な区間となった第15ステージにおいても、終盤で集団から抜け出して連勝を果たした。さらに第20ステージにおいても、残りあと30km付近の地点から単独で抜け出し優勝。山岳賞部門ではただ一人100ポイント越えを記録して136ポイントを獲得。同部門2位のヴァシリ・キリエンカに73ポイントの差をつけて山岳賞部門1位となり、ポイント賞部門ではダニエーレ・ベンナーティに次いで2位に入り、総合でも6位に食い込んだ。
*しかしその後、ガゼッタ・デロ・スポルトが2008年8月5日に報道〔サイクルスポーツ2008年8月6日号 〕したところによると、同年7月23日に国際自転車競技連合(UCI)が競技外ドーピング検査を実施したところ、セッラにCERA(持続性エリスロポエチン受容体活性化剤=Continuous Erythropoietin Receptor Activator)陽性が発覚。この報道を受け、CSFグループ・ナヴィガーレは即座にセッラに対し、出場禁止処分を言い渡した。その後、1年間の出場停止処分となり、CSFとの契約が打ち切られた。
2009年
*8月に、イタリア籍のカルミオーロ・Aスタイルと契約を結び、レース復帰を果たした。
*11月12日、上述のCERA陽性問題について、スポーツ仲裁裁判所(CAS)において、当時CSFのチームメイトであった、マッテオ・プリアーモから譲り受けたことを証言。これを受け、プリアーモは2013年2月まで出場停止処分を受けることになった。
2011年アンドローニ・ジョカットーリに移籍。
*ツール・ド・ランカウイ 総合3位
*セッティマーナ・インテルナツィオナーレ・ディ・コッピ・エ・バルタリ 総合優勝
2012年
*コッパ・アゴストーニ 優勝
*グラン・プレミオ・インドゥストリア・エ・コッメルチョ・ディ・プラート 優勝

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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