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エミル・スパヒッチ : ウィキペディア日本語版
エミル・スパヒッチ

エミル・スパヒッチ(Emir Spahić、1980年8月18日 - )は、ユーゴスラビア(現クロアチア)・ドゥブロヴニク出身のサッカー選手。ハンブルガーSV所属。クロアチア人の父とボスニア人の母を持ち、5歳下の弟アレンもサッカー選手としてプレーした〔Playerhistory Profile Playerhistory 2010年7月26日閲覧〕。
従兄弟のエディン・ジェコもサッカー選手であり、マンチェスター・シティFCに所属している〔Magath: Was läuft da mit Dzekos Cousin? bild.de 2009年6月3日〕。
== 来歴 ==
クロアチアのNKザグレブから、ロシアFCロコモティフ・モスクワFCトルペド・モスクワシンニク・ヤロスラヴリといったクラブに所属した。
2009年6月24日、2009-10シーズンよりリーグ・アンに昇格したモンペリエHSCに加入〔Spahic zu Montpellier transfermarkt.de 2009年7月3日〕。リーグデビュー戦となったパリ・サンジェルマンFC戦では94分に得点をあげ、1対1の引き分けでクラブは昇格後初の勝ち点を獲得した。その後も守備の要として活躍し、空中戦にも強さを見せた〔『ワールドサッカーキング増刊 ヨーロッパサッカーガイド 2010-2011シーズン選手名鑑』、朝日新聞出版、2010年、p.113。〕。2010年1月、クラブはスパヒッチとの契約を2014年6月まで延長した。
2011年7月4日スペインセビージャFCと3年契約を結んだ。移籍金は200万ユーロ。2013年2月26日ロシア・プレミアリーグFCアンジ・マハチカラにレンタル移籍することが決まった。
2013年6月、バイエル・レバークーゼンへ2年契約で完全移籍〔Bayer 04 verpflichtet Emir Spahic vom FC Sevilla Bayer Leverkusen 2013年6月28日〕。
2015年4月8日に行われたDFBポカールFCバイエルン・ミュンヘン戦後に、スタジアムの警備員に対しての傷害事件を起こして検察の捜査対象となり〔レヴァークーゼンDFスパヒッチが傷害容疑で捜査対象に バイエルン戦後に警備員に暴行? Goal 2015年4月11日〕、この事件が原因で4月12日にレヴァークーゼンとの契約を解除された〔レヴァークーゼン、傷害容疑のスパヒッチと契約解消 Goal 2015年4月13日〕。
2015年7月5日、ハンブルガーSVと2016年6月までの1年契約で移籍〔HSV verpflichtet Emir Spahic ハンブルガーSV 2015年7月5日〕。
また、スパヒッチは現在ボスニア・ヘルツェゴビナ代表の主将を務めている〔Gute Karten im Spahic-Poker bild.de 2009年6月2日〕。スパヒッチの代表戦での初ゴールは2006年2月28日ドイツドルトムントヴェストファーレンシュタディオンで行われた日本代表戦(2-2)だった。
2014年8月に代表引退を表明したが〔ボスニア主将スパヒッチが代表引退 Goal 2014年8月8日〕、10月に復帰した〔ボスニア代表DFスパヒッチが代表引退を撤回!10月の代表戦にも招集 Qoly 201410月5日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エミル・スパヒッチ」の詳細全文を読む



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