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エミール・ゲルディ(Émil August Goeldi または Göldi,、ブラジルでの呼称、エミリオ・ゴエルジ、Emílio Augusto Goeldi、1859年8月28日 – 1917年7月5日)は、スイス生まれで、ブラジルで働いた、博物学者、動物学者である。息子はブラジルの有名な版画家、オズワールド・ゴエルジ(Oswaldo Goeldi)である。 ==略歴== スイスのザンクト・ガレン州で生まれた。イエナ大学でエルンスト・ヘッケルに動物学を学んだ。1884年にブラジル国立博物館(Museu Imperial e Nacional)の創立者、Ladislau de Souza Mello Nettoの招きで、1885年にブラジルに渡り、国立博物館で働いた。1890年に博物館の主要な後援者のブラジル皇帝、ペドロ2世 がクーデターにより廃位されると、ゲルディは解雇された。 パラー州の知事から、1866年にドミンゴス・ソアレス・フェレイラ・ペンナが設立したパラーの自然史・民俗学博物館の再建のために招かれ、1894年にベレンに移った。ゲルディは外国人の研究者を博物館で働いてもらうことによって博物館を発展させた。博物館で働いた学者には植物学者のヒューバー(Jacques Huber)、動物学者のスネトラーゲ(Emilie Snethlage)、地質学者のカツァー(Friedrich Katzer)、Alexander Karl von Kraatz-Koschlaや 昆虫学者のデュッケ(Adolpho Ducke)などがいる。 1902年に博物館はゲルディの功績を称えて、Museu Paraense Emílio Goeldi(エミリオ・ゴエルジ・パラー博物館)と改名された。1905年に健康上の理由、職を辞し、スイスに帰国し、ベルンで没した。エミリオ・ゴエルジ・パラー博物館の館長はヒューバーやスネトラーゲ、デュッケによって引き継がれた。 多くのブラジルの動植物にゲルディの名前が献名されている。例えば、ゲルディモンキー(''Calloimico goeldii'' ()やアリドリ科の''Myrmeciza goeldii''(和名、ブラジルアリドリ)がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エミール・ゲルディ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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