翻訳と辞書
Words near each other
・ エミール・バンヴェニスト
・ エミール・バーリナー
・ エミール・パウアー
・ エミール・パラディール
・ エミール・ヒルシュフェルト
・ エミール・ピカール
・ エミール・ファブリ
・ エミール・フィッシャー
・ エミール・フィラ
・ エミール・フォラー
エミール・フォン・ザウアー
・ エミール・フォン・フーフ
・ エミール・フォン・ベーリング
・ エミール・フォン・レズニチェク
・ エミール・フリアン
・ エミール・ブッシュ
・ エミール・ブライトクロイツ
・ エミール・ブルナー
・ エミール・ブルンナー
・ エミール・ブレイエ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

エミール・フォン・ザウアー : ウィキペディア日本語版
エミール・フォン・ザウアー

エミール・フォン・ザウアーEmil von Sauer, 1862年10月8日 ハンブルク - 1942年4月29日 ウィーン)はドイツ作曲家ピアニスト楽譜校訂者・音楽教育者。フランツ・リスト最晩年の高弟の一人として著名。
==生涯==
母親からピアノの手ほどきを受ける。サンクトペテルブルクアントン・ルビンシテインを訪ねて、演奏を聞いてもらう。その推薦状を得て1879年モスクワ音楽院にてニコライ・ルビンシテインに師事する。1884年から1885年までヴァイマルフランツ・リストの薫陶を受ける。
1901年よりウィーン音楽院に勤め、ピアノ科でマスタークラスを主宰。何度か中断はあったものの没するまで教育活動に携わった。そのうえ1880年代から1930年代まで演奏旅行を実行し、ヨーロッパ全土からアメリカ合衆国に至るまで国際的な活動を繰り広げた。
数多くのピアノ曲の校訂を行い、ショパンやリストだけでなく、シューマンブラームスの作品も校訂した。
作品は、ピアノ協奏曲ピアノ・ソナタ演奏会用練習曲、ピアノ曲集、声楽曲がある。ピアノの教則本も出版しており、1900年には自叙伝も執筆した。

数々の功績により1917年オーストリア=ハンガリー帝国から貴族に列せられる。また、ロンドン・フィルハーモニック協会より金メダルを獲得した。

ハンブルク法曹協会では、正義と文化のつながりを称えて、エミール・フォン・ザウアー賞が創設されており、ハンブルク=ベーレンフェルトには、ザウアーの名にちなんで「フォン・ザウアー通り」と名づけられた街路がある。
著名な門弟に、ウェブスター・エイトケン、ステファン・アスケナーゼリュプカ・コレッサエリー・ナイら。2度結婚しており、再婚相手で音楽教育者のアンヘリカ・モラレスも弟子である。2人の息子を儲けた。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エミール・フォン・ザウアー」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.