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エミール・ラスク
エミール・ラスク(Emil Lask, 1875年9月25日 - 1915年5月26日)は、ドイツの哲学者。フライブルク大学でハインリヒ・リッケルトに学んだ。新カント派の中でも西南ドイツ学派(バーデン学派)に属する。 == 略歴 == ラスクは1905年にハイデルベルク大学で講師に就任し、第一次世界大戦が始まる直前に教授に昇進した。1914年の開戦後、ラスクは間もなく従軍した。ハイデルベルク大学の教授であったため、兵役義務はなかったのだが、ラスクは己の良心と理想を省みて、国のために勤めを果たすべきだと感じたのである。ラスクは東部戦線のガリツィアに派兵された。虚弱体質で重度の近視を患っていたので、銃を撃つことはできなかったが、それでも前線にとどまるべきだと考えたのだった〔"Emil Lask and Kantianism" 〕。結局、ラスクは生まれ故郷の近く、ガリツィアでの戦闘中に命を落とした。その背景には、ラスクを戦地からハイデルベルク大学哲学科に呼び戻すという要求をヴィルヘルム・ヴィンデルバントが拒んだという経緯がある。ラスクがユダヤ人だったことがその理由だという推測もある〔Gary D. Jaworski, ''Georg Simmel and the American Prospect'' , SUNY Press, 1997, p. 95.〕。 ラスクは重要かつ独創的な思想家だったが、早すぎる死と新カント派の衰退によって、その価値ある著作はあまり読まれてはいない。生前に刊行された著作、そして未刊行の原稿は弟子のオイゲン・ヘリゲルによって3巻にまとめられ、ラスクの師リッケルトが寄稿した論考とともに1923年と1924年に出版された。エミール・ラスクの妥協を許さぬ態度は哲学者の興味を引くものであり、また若き日のマルティン・ハイデッガーとルカーチ・ジェルジに影響を与えたことが哲学史家によって注目されている。ラスクの思想は日本で影響力をもったが、それは弟子のオイゲン・ヘリゲルが日本に滞在し教鞭をとったからである。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エミール・ラスク」の詳細全文を読む
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