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エリザベス朝 : ウィキペディア日本語版
エリザベス朝[えりざべすちょう]

エリザベス朝(エリザベスちょう、Elizabethan era)は、イングランド王国テューダー朝のうち、特にエリザベス1世の治世期間(1558年 - 1603年)を指す時代区分である。しばしばイングランドの黄金期と呼ばれる。

対外的にはスペイン無敵艦隊を破るなど国威を示し、内政的にはプロテスタントカトリックの対立を終息させ、国力を充実させた。これにより、芸術、文芸も栄え、イギリス・ルネサンスの最盛期となった。また、イギリス・ルネサンス演劇も賑わいを見せ、とりわけウィリアム・シェイクスピアによる従来の様式を打ち破った演劇は話題となった。

文学の分野で「エリザベス朝」という言葉が使用される場合、その後のジェームズ1世(1603年 - 1625年)およびチャールズ1世(1625年 - 1649年)の在位期間を含めることが多い。エリザベス1世の頃にはウィリアム・シェイクスピアが現れ、現在に残る戯曲の多くを残した。シェイクスピアはソネットなどにも大きな足跡を残した。クリストファー・マーロウなどによっても多くの詩文が残され、英文学の大きな財産となっている。
なお、テューダー朝の頃の建造物などは「テューダー様式」と呼ばれる。

== 概要 ==
エリザベス朝の素晴らしさは、その前後の時期と比べると際立って見える。17世紀はイギリス革命(清教徒革命など)やプロテスタントカトリックとの争い、議会と国王の争いに明け暮れていたが、その中でエリザベス朝はつかの間の平和な期間だった。この時期は、プロテスタント・カトリックの分裂は収まり(エリザベスの宗教的解決)、議会には未だ絶対王政を揺るがす程の力がなかった。

イングランドは、他のヨーロッパ諸国に比べても順調だった。イタリア・ルネサンスは、外国に半島を支配されて終わった。フランスではユグノー戦争が起こった(この戦争は1598年ナントの勅令によって終わる)。何世紀も続いてきたフランス対イギリスの闘争は、エリザベス1世の治世の間は収まっていた。これは、フランスが宗教戦争に巻き込まれたことの他に、イングランドがヨーロッパ大陸の領土のほとんどを失っていたことも一因となっている。

この時期に大きなライバルとなったのはスペインだった。スペインとイングランドはヨーロッパとアメリカ大陸で小競り合いを繰り返してきたが、1585年についに戦争となった(1604年まで続く)。スペイン王フェリペ2世が1588年に無敵艦隊を送ったが、イングランドは有名なアルマダの海戦で無敵艦隊に大勝した。しかし、この後にイングランド艦隊がスペインに侵攻した海戦では大敗し、争いの風向きはイングランドに不利に変わった。その後、スペインはアイルランドのカトリック教徒のイングランドに対するゲリラ活動を支援した。また、イングランド軍はスペインの陸海軍に続けて敗北し、イングランドの国庫と経済がかなり悪化した。エリザベス1世は、財政を緊縮して慎重に立て直しを図った。イングランドの植民地政策や貿易が復興するのは、エリザベス1世が死去した翌1604年、ロンドン条約に批准した後である。

この期間のイングランドは、過去のヘンリー7世ヘンリー8世の改革の結果、うまく中央集権化され、政府が効率的に機能していた。経済的には、大西洋貿易によって儲ける新時代の幕開けを迎えていた。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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