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エリザヴェータ・ヤロスラヴナ : ウィキペディア日本語版
エリザヴェータ・ヤロスラヴナ
エリザヴェータ・ヤロスラヴナ(、ノルウェー語(ブークモール):、1025年? - ?)は、キエフ大公ヤロスラフ1世の次女(第4子、母はスウェーデン王女インゲゲルド(ru))である。ノルウェー王ハーラル3世(在位はおそらく1046年 - 1066年)と結婚し、ノルウェー王妃となった。
==生涯==
エリザヴェータはキエフの宮廷で育ち、高度な教育を受けた。1043年から1044年にかけての冬にハーラルと結婚した。ハーラルはこの時キエフ大公国のヤロスラフ1世に仕えていた。エリザヴェータはハーラルとの間にマリヤ(en)とインゲゲルド(en)という2人の娘を産んだが、1048年には既に、夫のハーラルはノルウェーの豪族の娘を2人目の妻として迎え入れていた。この妻からは、後にノルウェー王となるマグヌス(ru)とオーラヴ(ru)(マグヌス2世とオーラヴ3世)が産まれている。
1066年9月25日、スタンフォード・ブリッジの戦いでハーラルは戦死した。エリザヴェータと娘たちもこの遠征に同行し、オークニー諸島にとどまっていた。とあるサガによれば、ハーラルが死亡した同日・同時刻に、エリザヴェータの娘のマリヤも死亡したという。エリザヴェータともう一人の娘のインゲゲルドはノルウェーに帰還した。一説によれば、後にエリザヴェータは再婚したというが、確かなことは知られていない。
娘のインゲゲルドはデンマーク王オーロフ1世(ru)と結婚し、デンマーク王妃となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エリザヴェータ・ヤロスラヴナ」の詳細全文を読む



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