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エリザ・ボナパルト : ウィキペディア日本語版
エリザ・ボナパルト

マリア=アンナ“エリザ”・ボナパルト=バッチョッキ〔しばしば縮めてマリアンナ()とも表記する〕(, 1777年1月13日 - 1820年8月7日)は、フランス皇帝およびイタリア王であるナポレオン1世の妹。フランス帝国の皇女にして、イタリアにおける、ルッカおよびピオンビーノ公国トスカーナ大公国の君主である。エリザは本来の名ではなく愛称であった。夫は同郷コルシカ人のフェリーチェ・バチョッキ
==略歴 ==
1777年、コルシカ島で生まれる。1784年に当時の女子教育の最高学府であるサン=シール学院(fr)に入学するも、フランス革命による同校閉鎖によって1792年に中退を余儀なくされた。1797年にコルシカの軍人フェリーチェ・パスクヮーレ・バチョッキと結婚した。
1804年にフランス第一帝政が始まるとともに帝国の皇女となり、1806年にはルッカおよびピオンビーノ公国の女公になった。1809年にトスカーナ大公国が復活すると女大公に封じられたが、1814年にナポレオンが失脚するとともにローマに亡命した。 

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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